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カテゴリ:はっとする気づき編
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。
わたしたちには誰にも必ず、 その人独自の天才性、才能があると言われています。 ですが、自分自身の才能に気づき、 それを使って人生を楽しんで生きていく人は、 全体からみると、まだまだごく少数です。 なぜなのでしょう? 実はそれは、才能に気づく為に必要な あるとても大切なプロセスを、 わたしたちの多くが知らないということに ひとつの理由があります。 その大切なプロセスとはなにかというと、 才能に気づいていくということは、 才能でないことに気づき、 「それをやめていくプロセス」でもあるということです。 わたしたちには誰にも必ず、 その人特有の天才的才能があります。 そしてそれは、スィートスポットです。 言ってみれば、石についた泥を落としていくように、 いらないものを落として落として、 曇りを取っていった時、姿をあらわす宝石のようなものです。 そして、その為には、自分の才能でないものに気づき、 それを手放し、そこから降りていくということが 必要になります。 わたしたちは、自分がどれくらい、 才能でもないし、あまり上手でもないことをして 人生を過ごしているのも知れないというとに 意識を向けることは、なかなかありません。 わたしたちは、世の中の多くの人がそうしている為に、 同じように、「なんでもそれなりにこなす」ことに 慣れ親しんでいます。 ゆえに、才能でないことを手放していくということに、 無意識のうちにブレーキがかかってしまうということに、 なかなか気づくことさえ、気づくことができません。 また、わたしたちは、自分の才能と まったく異なったポジションで生きているかもしれない ということにも、なかなか気づく機会がありません。 これは「天才性コース」の中でも扱っている大切なテーマなのですが、 わたしたちの多くは、実はバッターなのに、 マウンドに立っていたり、キャッチャーなのに、 外野席に座っていたりするくらい、 ポジションを間違えているかもしれないということに、 気づかないことさえ、気づかないで生きていたりします。 (これは職場が間違っているっていうような意味ではないですよ) 自分の才能に目覚めていくということは、 同時に自分の才能でないことに気づき、 それを手放していくプロセスでもあります。 そして、わたしたちが、自分の才能でないものを 謙虚さと共に手放していく時、 それを助ける、その才能の人たちと出会う「機会」が訪れます。 あなたの才能って、なんでしょう? そして、手放していく、才能だと思っていたけれど、 才能でなかったものってなんでしょう? みつめはじめる時、わたしたちの深いところで、 小さなきっかけが動きはじめるでしょう。 本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。 またのお越しを、こころよりお待ちしております。 いってらっしゃいませ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 8, 2007 11:32:32 PM
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