ダグラス・ラミス(元海兵隊員/政治学者)
ダグラス・ラミス(元海兵隊員/政治学者)憲法9条ができてから、いまのところ自衛隊は、国家交戦権のもとでひとりの人間も殺したことはないわけなんですね。そういう意味で、憲法9条は傷だらけで、いたんでいるけれども、まだ生きてて、まだ成功しているわけです。日本国憲法で最も大事な言葉は「われら」です。「われら」は文法的に憲法全体の主語です。どれだけ重要かは明治憲法と比較するとよくわかります。明治憲法は「天皇」で始まります。構造として天皇の命令となっていて、臣民の権利は天皇から与えられた恵みと考えられます。それに対して日本国憲法の「われら」は180度違います。憲法は文法的構造として政府に対する命令なのです。政府はこういうことをやっていいよ、悪いよ、と書いてあります。主権在民とはそういうものです。形としては明治憲法の改正手続きで今の憲法になりましたが、正反対の原理を入れたのですから、中身は改正ではなく、新憲法です。明治憲法における「臣民」は政府のいうことを聞き、国に尽し、玉砕するものでしたが、日本国憲法では「臣民」は「国民」となり、その中身は人権条項によって定められています。「国民」は「市民」であり、積極的に政治に参加し、自分の言葉で判断し、活動すると描かれています。つまり、永田町のやり方が変わっただけでなく、国民自身がまったく別の姿に作り直されたということです。市民社会は憲法あってのもので、今日の集会も言論の自由、集会の自由がなければ開けませんでした。新憲法を作りたい人たちからは、今の憲法は「押し付け憲法」だという言い方がされています。それに対して、憲法草案を作る過程で日本国民が参加した、日本のアイデアを取り入れたから「押し付け」ではないという反論があります。しかし、私から言えば「押し付け」を完全に否定するものではないと思います。というよりも、主権在民の憲法はすべて押し付けで、政府の権力を制限するものです。絶対王の時代は、顔が嫌いだから死刑とか歌が下手だから死刑、気に入らない手紙を持ってきたから死刑などということがまかり通っていました。イギリスの大憲章は1215年ですね、そういうことはまずいと、ジョン国王に下から押し付けたのです。憲法とは押し付けるものです。誰が誰に押し付けたのかが大事です。政府は押し付けられたと思って当然です。当時GHQと国民の殆どはこの政府は権力が大きすぎる、減らさなければと思っていました。両者の結論は同じでした、だから非常に珍しい立派な憲法ができたのです。http://t.co/fdQOUUYXSQ押しつけ憲法だから問題なのではありません。すべてのいい憲法は、たいてい民衆が政府に押しつけたものです。……………………………The Penelopesのwatanabe さんという方 ( @penewax )がTwitterで紹介してくださっている言葉をつなげてUPさせていただきました。