調整役症候群?
次から次へ変な人があらわれ、私は対応を考えなきゃならないことばかり・・・と思っていたけど、考えてみたら、どれ一つ具体的に私が頼まれた用件はない。こうしてあげないと可哀相とか、こうしておかないと後で面倒が起きるとか、私が先走って、一人であくせく取り越し苦労を見つけだしてるみたい。今日カウンセリングで話していて、そう思った。カウンセラーいわく「そんな周りに気を遣ってくたびれるなら全部手放してしまいなさいって言いたいんだけど、あんずが他者を思いやって、奔走しようとする気持ちは崇高なことだから、そう言いきれない面がある。問題にすべきは、私が他者を思いやり奔走したくなる動機かもしれない。」動機ねぇ…スエオのことは、お母さんに振り回されて可哀相だし、子供たちに影響がでるのを防いであげたいから。以前みたいにお母さんのひどさをあげつらって、「ね、私が苦しいのもわかるでしょ?」って共感してほしいからではない。…にしても、スエオが助けてくれと言ってるわけじゃないから、私がずけずけ踏み込んでいくのもどう?まず、スエオやヨメちゃんに、苦しくなったら力になるからねって、それを伝えたんだからもう充分。父とマツさんのことは、ふたりが好きでやってることだから、父に代わって感謝を表す必要もない。私からマツさんに電話する必要もない。むしろ、「マツさんは家族でない」と一線を引いていることこそ必要。お母さんはあんずを思うように操りたい人だから、スエオや父のためとはいえ、自分からその火中に飛び込む必要もない。そうだよね。悩むまでもないことだ。私はなぜ、あくせく人のために奔走しようとしてしまうのか。「心のどこかに『いつも他者のことを考えるいい人』ってみんなから思われたい気持ちがあるのかもしれない」と、つぶやいたら、その動機があるならシメタものだ!とカウンセラー。「その動機はよくないから止めなさい!って自分に言ってあげられるでしょう?」だって。小さい頃から、親の気分をいち早く感じ取り、彼らの意に沿うようにうまく回さないといけないと思っていた名残だって。そうしないと、自分の存在価値がなかったから。そう生きるのがサバイバルの手段だったからだって。小さいときはお母さんに愛されるためにその生き方が必要だったけど、今は、人の役に立つ存在でなくても、あんずはここにいるだけで価値があるんだって。問題を探してまで捌いて調整しなくても、いるだけで価値がある人間なんだって。やはり、私は、周りの調整役でしか自分の価値を示せないと思ってるから、起きてもいない問題を作り出し、「私は大変なの」ってアピールしてるんだと思えた。そしたら、情けなくて泣けた。漫画の主人公みたいに、バラの花束を背景にしょってキラキラしなくても、何も背景がなくてもあんずはちゃんとみんなから見えるから安心しなさいって。人のふんどしで相撲をとって手柄をあげてもしようがないって思えた。そうだ、私は、周りに問題が起きると、相談に乗ったり奔走することで、自分の怠惰の言い訳にしてきた。そうだ、今まで、ずっとそうだった。うーん、思い当たることばかり。決めた!私は私のやることを一生懸命やってみるよ。うん、私は私のすべきことを、真摯にやってみる。掃除とか、ご飯づくりだけどね(笑)