カテゴリ:原爆と原発と
あのライトアップは、世界遺産になった頃から始まったのでしょうか…。
調べるのが面倒ですので(ヲイ)その辺りはスルーとさせていただきまして…。 ある年、法事か何かで両親の故郷・広島に行った折、原爆ドームがライトアップされていることに気付きました。 外側からも照らされていた気がするのですが、何より、内側からオレンジ色の光を発していて、ズバリ『異様』だと思いました。 その後、朝5時前(冬場、広島はまだ真っ暗)の気象情報お天気カメラなどで時々映る丸いオレンジ色の光に、「ああ、一晩中ライトアップしてるんだ…」と思うたりもしておりました。 (震災・原発事故以来…か、どうかは判りませぬが、現在は、ライトアップ、していないようです) …恥を晒すようでありますが…。 折に触れ、妹と、笑い話にしてしまったものでありました…。 「あのライトアップの電気って、原子力発電所で発電したヤツだったりして☆」 ほぼ真上で炸裂した原子爆弾で破壊された原爆ドームを、内側から照らす、原子力の光。 そんな皮肉な構図を想像して、ただ笑い話で済ませていたのであります。 その後、恐ろしい兵器としての原子力に破壊されてしまったけれど、今は、人類の『叡智』で人々の役に立つようになっている原子力の光で照らされている…ということで、原爆ドームも喜んでいるかもしれない…などと、強引にホノボノ系思考に持っていたこともありました。 そうして、そのことについて、それ以上の深い思索を巡らさなかったのです。 人類の『叡智』によって原子力は、平和に、安全に、人々の役に立つよう使われていて、今後もそれが続けられてゆくのだ…と、ごく自然に『なんとなく』思うておりましたゆえ。 と、申しますより、そういう思考すらほとんど持たず、『電気』とて『どう作られているのか』なども、日頃たいして考えず、漫然と日常に流されてきたのであります。 『クリーン・エネルギー』原子力発電の何たるかも、突き詰めて考えないまま…。 チェルノブイリのあとも、バケツ臨界事故のあとも、「怖い」とは思いつつ、それなりに考えた気で居つつ、やはり、『他人事』だったのです。 …身内に、原爆被爆者が居た…と申しますのに。 それら「怖い」と思うことと、『電気を使うこと』について、「それはそれ、これはこれ」といった思考すらも無く…。 ただただ、『電気は、普通にあるもの。電気料金さえ払っていれば、使えるもの』だったのです。 …私めの、個人的な『電気を使う罪悪感』が、お判りいただけましたでせうか…。 これまでの私めの、言葉足らずの駄文で、「電気使うことが悪いみたいに言われるのは、心外だ」とお思いのかたもおいでだったかと思われます…。 だといたしますれば、ご不快にさせ申し上げ、本当にあいすみません。 この、私めの『罪悪感』というのは、「身内に被爆者が居ながら、原爆や放射線障害のことを、多少なりとも知識として得ようとしたことがありながら、原子力発電については深く考えずに『電気を使っていた』」ということから来ているのであります。 ほんとうに、まったく、個人的な気持ちの問題なのです。 ただ、ほんの少しだけでも、皆々様にお考えいただけるきっかけになりますれば…と、そんなおこがましいことも考えつつ、もう少々、この周辺について、書き綴ってみようかな…と思うております。 (しかし既に30度越えのマイルーム…。次の更新は、また翌朝でござりませうか…)(平伏) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年06月29日 08時04分29秒
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