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物欲☆あんず雨

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2011年06月29日
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カテゴリ:原爆と原発と
本格的に夏になる前にUpしようと思うておりましたが…。
どういうことか、真夏並みの猛暑に熱帯夜…。(マイルーム、とうとう一晩中28度のままでしした…)

でも、真夏の一番暑い頃の話にも及びますので、これも何かの巡り合わせやも知れませぬ…。


以下、昨日日記からの続きで、原爆の話になります。
この時期、よりによって、そういう話??と眉をひそめられるのを覚悟で書いております。

ご覧になられたくない方々様は、どうかスルーなさってください。
(残留放射線に関する話も出て参りますので)

最初からご覧くださる節は、この日記から、日記上部か下部の『次へ』をクリックしていただけますれば、この文に繋がって参ります。

ではでは、前日記からの続きをば…。


父方の祖父母に会った記憶は、私めにはありません。

祖母は、赤ん坊だった私めを抱っこしてくれたことはあったそうです。そして、ほどなく他界いたしました。
祖父は、もう少しあと、私めが『ゲンバク』を知った頃くらいに亡くなったのですが、県北の、広島市内からも電車で数時間かかるエリアに住んでいた祖父に、そう頻繁に会いには行けず、物心ついた頃には、もうこの世の人ではありませんでした。

ですから、私めの認識の中では、『おじいちゃん・おばあちゃん』というのは、母方の一人ずつのみ。
大抵はもう一組存在する…という感覚は、だいぶあとになって得た気がします。
仏壇の写真でしか知らない父方の祖父母は、申し訳ないことに、最初から『遠い人』たちだったのです。

祖父が、広島に原爆が投下されてほどなく、救護活動のため市内に入った、いわゆる『入市被爆者』だったことを知ったのも、かなり後年でした。

詳細は特に、チェルノブイリ原発事故のあと、残留放射線の怖さを認識してから、改めて父に尋ねて、知った…という具合です。
被爆者手帳を持っていたことも、その時初めて知りました。

父から聞いた話で、殊に衝撃的だったのは、『水』の話です。

原爆投下直後の広島市内へ、祖父は、地域の他の人たちと共に、救護隊として入りました。
原爆投下後、3日目のことだったそうです。
(長崎にも投下された日…)

8月初旬の、茹だるような暑さに加え、原爆による火災も、まだあちこちでくすぶっていたかも知れません。
そんな中での作業の合間、祖父たちは、頻繁に水を飲んだと思います。

焼け跡に残っていた水道の蛇口、そこから滴る水、あるいは、汲み出せる井戸の水、祖父の仲間たちは、その水を飲んだそうです。

けれど、祖父(と、もう幾人かの人?)は、地元から持参した水筒の水以外は、決して口にしなかったそうです。
被爆地の水を飲むのは危険だ…ということを、既に誰かから教わっていたのでしょうか?
その辺りは、もう確かめようがありません。

…市内から県北に戻ってほどなく…。
水筒の水以外の、市内の水を飲んだ人は、ほとんどの方が、数日もしないうちに亡くなってしまったそうです。
急性の放射線障害…。いわゆる『原爆症』で…。
原爆症Wikiページ

水を飲まなかった祖父は、私めが幼児の頃まで…戦後20余年ほどは生き永らえることが出来ました。
詳しくは教えてもらっていないのですが、最期も、原爆症で苦しんで…というのでは無かったようです。

祖父よりも早く亡くなった祖母は、ガンだったようです。(これを書くために確かめようと思いましたが、怖くて、確かめていません…)

祖父の話を(父経由で)聞いたあとも、祖母の死は、原爆とはまったく無関係だと思っておりました。

チェルノブイリのその後を伝える、ある番組を観るまでは…。

番組では、チェルノブイリの、一般の立ち入りを禁じる境界線の辺りに、特別のクリーニング施設があることを紹介しておりました。

チェルノブイリ『石棺』近くで作業した人の防護服を、その施設でクリーニングして、境界から外には、絶対に出さないのだそうです。

付着した微細な埃からは、今も、危険な量の放射線が出ているからです。

それを知ってしばらくして、私めの中で一つの情景が浮かびました。

広島市内での救護活動から帰って来た祖父の、煤や埃で汚れた服をはたいて、洗濯をしている祖母の姿です。

実際に見たわけではないので、あくまで想像に過ぎないのですが…。
服に付いた埃からもどんどん残留放射線が出ているなど、夢にも思っていなかったであろう祖母が、『マスクをして』祖父の服を(物が貴重な時代)『即・廃棄』したとは思えません…。

祖母が、埃をはたいて、洗濯して…。
その側には子供たち…叔父や叔母、父も居たかもしれません。

空気中に舞う、放射線を出し続けている埃を、家族全員、吸い込んでいたかもしれません。

…直接の関連性など、本当に、もう確かめようも無いのですが…。
父方の叔父や叔母、ガンや白血病で、既に何人かが亡くなっております。


「そうだったかもしれない」と、ただ私めが疑っているだけのことかもしれません。

けれど、父方の祖父母に『会った』記憶を、私めは持てなかったのです。
「おじいちゃん」「おばあちゃん」と、呼んだ記憶が無いのです。

(まだ、もう少し続けます。次は、母方の話です)





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最終更新日  2011年06月30日 07時54分45秒
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