カテゴリ:原爆と原発と
梅雨明け前から蒸し暑さ大全開だったのですが、明けたら明けたで、いきなり猛暑日が連続しそうな雰囲気濃厚…。
(8時過ぎで、既に30℃越えしそうなマイルーム…) もうすっかり暗黒ブログになってしまったここですが、またしばらく(秋まで??)、お休みさせていただいたほうが??という気持ちに…。 楽しい話題とかも書きたいのですが、PC開けたとたんに、悲しいニュースなどを読んでしまいますと、もう、(マイ駄文の場合)何を書いても不謹慎のように思えて参りまして…。 93歳で、自ら命を絶たれた南相馬の女性の記事に打ちのめされ…。 事故原発の収束が、向こう数十年単位であることを(皆、薄々気が付いては居つつ)、厳然たる事実として、再認識させられてもみましたり…。 原発事故発生のすぐ後くらいでしたか、『広島も長崎も、今は素晴らしく復興しているので、大丈夫』的な言葉を幾度か目にいたしまして…。 実は少なからぬ違和感をおぼえていたのであります。 原爆は、言語を絶する凄まじい被害をもたらして、残留放射線の被害も(当時あまり知られていないながらも)ありましたが、その後、爆心地から新しい放射性物質が撒き散らされるということはなく、まずそこが、こたびの事故とは大きく異なっておりますし…。 チェルノブイリ原発事故も、爆発によって物凄い量の放射性物質が飛散したそうですが、10日ほどで収束したとのこと…。 けれど、量はさておき、今も、放射性物質ダダ漏れ状態の東京電力・福島第一原子力発電所。 周辺にお住まいだった、今現在も避難生活を続けておいでの方々様には、本当に、何をどう申し上げて良いやら、到底、言葉が見つからない気持ちです。 (どんなお慰めの言葉も、述べた端から、安っぽく空虚なものになってしまいそうで…) それこそ何十年か先、『街』そのものは、きれいに、素晴らしく、蘇るかと思われます。 ただ、奇跡のような復興を遂げた広島でも長崎でも、長く後遺症に苦しみ、肉親を失ったつらい記憶を抱え続けた多くの人が、きれいになった街のそこかしこで、ひっそりと暮らしていたのです。 そういう『人の気持ち』を置き去りにする復興は、たとえ遂げることができたとしても、形だけ、上っ面だけ…になってしまう気がします。 そうならないように、私たち一人一人が、どれほど現実を直視するのがつらくても、今後、もっと真摯に向き合わなければならない…。 「重いよ、ドン引きだよ。このブログ…」と思われても、やはり、時折は、頑張って書こう…と、暑苦しく考える、暑苦しい朝なのであります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年07月10日 09時05分51秒
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