カテゴリ:原爆と原発と
フユヒ様から頂戴した法事旅ABCC日記へのお言葉から、広島・長崎への原爆投下における、米国の『実験的思惑』の一端を、改めて書いておこうと思いました。
(フユヒ様、コメントしづらい日記へのお言葉、改めまして、どうもありがとうございました!!) まず、フユヒ様へのレスにも書きましたが…。 ABCC・Wikiページ ↑このページにもあります通り、米国が広島・比治山に作ったABCCは、 ABCCは調査が目的の機関であるため、被爆者の治療には一切あたることはなかった。 ここでの調査研究結果が、放射線影響の尺度基本データとして利用されることとなった。 ABCC、『非人道的この上ない原爆を落としてしまったから、それを反省して、被爆者救済のために作った施設』では、さらさら無いのでござりまする。 要は、広島への原爆投下、戦略的意図の他に、『実際に人が生活している市街地』に落とした『実験』という意図もあったのです。 ですから、それまで、通常の焼夷弾を使った空襲を、広島市街には控えていたのです。 (一般の人があまり疎開しないように)(悲しいことに、神戸など空襲の激しかった土地から広島に逃げてきていた人も、当時、多くいらしたのです) そして、広島城内に大本営があったから…ということもあるのですが、軍艦や軍施設の多い呉より、広島…というのは、やはり、『一般の人が多く生活している大都市』、そこに原爆を落としたらどうなるか…という悪魔的興味が…。 さらに、広島が『実験結果を得るにはちょうどよい』と思われていた理由の一つが、『山に囲まれていること』。 原爆のエネルギーが及ぼす『一つの都市』への被害データを取るための、判りやすい地形…ということでござりましょう。 街のどこに居ても、なだらかな優しい山容がのぞめる広島…。 幾つかの投下候補都市の中で、広島が選ばれてしまったのは、その山たちのせいもあったのか…と思うと、とても悲しい気持ちになります。 それから、『風があまり吹かないこと』も重要だったようです。 風によって残留放射線が拡散することなく、留まりやすい…。ゆえに、投下後のそういったデータも取りやすい…。 この事を知って以来、広島で「風が吹く」ということを殊更に意識するようになってしまいました。 こたびの法事旅でも、市内、珍しく風が強めの日があったのですが、そんな時やはり、頭の片隅に上記の件が意識されてみましたり…。 どういう理由であろうとも、原爆は、絶対に使われてはいけない兵器だった訳ですが、戦略的意図のほかに、そういった、大規模な実験の意味もあったかと思いますると、人間の、知的意欲の暗黒面にも思いが及び、形容し難い悪寒がします。 ABCCは、原爆による人体実験の、データ回収機関だった…ということが、今、改めて強く認識され…。 興味本位に、今も残る『かまぼこ型建物』を見に行った自分が情けなくなりました…。 実験…という意味合いでは、長崎への投下は、(その頃、戦略的には原爆使用、不要でしたので)広島で使ったウラン型爆弾とは違う、プルトニウム原爆を使ってみたい…という、実験的興味のほうが大きかったと思われ…。 そのことも、もそっと書こうと思いましたが、気力がもたなくなって来てしまいました…。 (前にも書いた気がしまするが…。またも拙ブログ内で検索できませず…) 1分の長さ(2009年08月09日) ↑別な長崎関連日記が出て参りましたゆえ、一応…。 そういえばもうじき、真珠湾攻撃の日…。 いつもの年以上に、いろいろ考えてしまう冬であります…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年12月05日 10時27分10秒
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