カテゴリ:原爆と原発と
やはりこれも書きかけのまま…と申しますか、ハッピーさんのツイートを覚書のように掲載しかけたまま、放置の1月17日・日記であります。
↓ハッピーさん@Happy20790さんの、1月17日のツイートより↓ ただいまっ(^O^)今日は打ち合わせで現場行けなかったでし。今日で阪神淡路大震災から17年たつんだね。あの大震災の後に東電は原発の地震対策なんてほとんどしてなかった。その後に起きた宮城県沖地震と中越沖地震の後から原発の耐震対策が始まったんだよなぁ…。 続き1:だけど津波対策はしてこなかった…。今日はそんな事考えてたら昔の事思い出したよ。十何年か前に1号機で、埋設してあった海水系の配管から海水が大量に漏れてタービン地下が水浸しになって非常用DGやメタクラって配電盤が水没した事があったんだ。 続き2:あの後の対策で配管は全て架空化したんだけど非常用DGや配電盤はそのままだったんだ。オイラ達は「こんなの配管だけやったってデッカイ津波来たら終わりじゃん」って言ってたんだよなぁ…。今となってはだけど、あの時に津波の対策をもっと真剣に考えるべきだったんだ。 …十何年か前に、そんな水没事故が…。 あの破局的事故を回避できたかも知れない幾つかのポイントがあったことを、Nスペなどでだいぶ知ってきてはおりましたが…。 現場のかたが、これほど危惧なさった事態がありましたのに、結局は、何も手を打たないままで来て、ついには2011.3.11を迎えてしまったのですね…。 …「あの時、こうしていれば」が、もう、空虚この上ない言葉なのだと認識はしつつ。 少しずつの『怠り』や『先延ばし』が、ついにはこの事態を招いてしまった…ということについて、今一度、深く深く考えておかねば…と思う次第であります。 (自分自身の、もろもろのことも含めて) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年01月29日 09時23分22秒
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