人間、欲張ると・・・。
まあ、ろくなことがない。いささか、めげている、というか、失敗、というか。まあ、一般的に言ったら、すごくくだらない範疇のハナシなのだろう、という気はするが、僕、という人間にとってはなんというかアイデンティティっちゅーか、存在理由を脅かされたっちゅーか。まあ、意気消沈、というカンジであった。んだが、赤瀬川長老の、”老人力”、これを拾い読みするといや、なんだかそれもまたよし、というか、いろいろあるぞな、人生、という風な気持ちがスコーシ芽生えてきた。やっぱ、赤瀬川先生は(あ、ここは”センセイ”と書くべきかな)すごいなあ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーー要は、何があったんや、オマエ、ということになるだろうが、つまり、自分自身の矜持というか、ここはまけへんで、という部分、あるやないですか。僕のバアイは、マンガ目利き、というか、生まれてから30年以上、マンガ読んできた自負、というか。本当のところ、一般的に言うところの驚異的なマンガファン、というヒトビトと比べたらまったくたいしたことはないんだろうが、まあ、自分でもマンガ描きのマネゴトをする身として、エエ漫画には、鼻がききまっせ、という自負が、あったんですね。で、ありますよね、マンガ専門店。ここにBOOK OFFの100円コーナで発見したホンを持ち込んだら、首尾よく、100円のものが200円とか、150円とかに化けたってハナシまえに日記に書いたんですが、チーと、図に乗りすぎたようです。コレハイケル、となってしまって、100円で200円がもらえる、これは最高ではないですか、と夢が膨らんで、取らぬ狸の皮算用、そのものですわ。やっぱ、人間、欲を掻くと碌なことありませんな。前に持ち込んでとってもらった本含め、20冊以上を持ち込んだら、大惨敗。これは引き取れません、ときたのよ。名古屋駅前のビッグカメラで、FAXを26000円で10分で購入して、勇躍挑んだまん○らけ。ま、ズタボロやね。ちょっといい気になりすぎてた自分、見たいなのもすごくなさけなくて、しばし、クルマのなかで呆然とした。たかが2000円、いい勉強をしたと思えよ、自分、などと自らを慰めようとしたが、なんちゅーか、多分カネ以外、マンガ目利き、として培っていた秘めた自信(←大げさ)がガラガラと音を立てて崩れ落ちた、ということなのだろう。ガックシ来た。ーーーーーーーーーーーーーーーーーでも、赤瀬川センセイの本を読んでいて、大事にしていたカメラを老人力の所為で忘れてしまう、そんな自分を開陳、陳列していただき、まあ、まだまだ生臭いな、ジブン、という風な気持ちがなーーんとなく出てきたし、好きなことをそんなことで、イヤになるなんて、という風にもすこし思えた。まだまだ、負けられんな、まん○らけ。いや、ぜんぜんまん○らけさんに恨みはない。むしろ商売の厳しさを叩き込んでもらえて、甘さをしらしめてくれたあの買取査定のおねーさん。やっぱ、プロかもしれない。微妙にレアな本は、きちっと取ってたもんなあ。さすが。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーで、赤瀬川センセイは、ライカ同盟というライカ好きの3人の同盟を作られているのだが、ドラえもん連盟、というか、僕もてんとうむしコミックスのドラえもん、初版を集めているんです。いま、同志はもちろん周りには、いない。だたか、同盟はまだないいですが、昨日のヤフオクのドラえもん1巻初版の壮絶な入札バトル、見ごたえあったなあ。お、と思って、99円で入札した僕もバカですが。最終的には69000円。45巻全部初版だと、前に見たオークションで31万円だったから、まあ、妥当な線なのかもしれない。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーということで?久しぶりにチチエセです。僕も知ってる隣のおじいさん、なかなかやり手やったんやなあ。うーん、人生。 知らぬが仏 穏やかな朝の静けさの中から、けたたましい救急車のサイレンが聞こえてきた。 いつもなら、近くの道路を通り過ぎてゆくが、今日のピーポは信号を曲がってこちらに近ずいてきた。 救急車は、私の隣の家の前で止まった。 頭に血のにじんだタオルを当てて、救急隊員に支えられ、玄関の階段をその家の主人「ムッシュ・ぺロウ」がよろよろと降りてきた。 今年八十歳になる彼が、若いとき離婚までして一緒になった五つ年下の奥方と二人で住んでいた。 戌年生まれで、犬のように天真爛漫、誰にでも尻尾を振ってついていく性をみて、 奥方がつけたニックネームが良く似合っていた。 バブルがはじけ、倒産した小さな会社の社長時代の全盛期には、ビュックを乗り回し、夜の三宮でも有名を轟かせていた。 そのときに馴染みになった、グラマラスなママとは、三十年経った今でも時々奥方の目を盗みながらデートを楽しんでいた。 その日は、奥方に内緒で、彼女との久しぶりのデートの約束をしていたので、ムッシュ・ぺロウは朝からそわそわしていた。 それが運悪く、朝食後庭の鉢植えを抱えて持ち上げたとたん、足元がよろけて転倒し頭を打ってしまった。 傷はたいしたことがなかったが、救急車の中でその日のデートが気になり、痛みどころではなかった。 病院に着いたとき、看護師に借りた紙と鉛筆に、彼女の電話番号を書き連絡を頼んだが、忙しいのか走り去ってしまった。 思い余った末,ストレッチャーに付き添ってきた奥方に頼まざるを得なくなった。 奥方はこんなときに何事かと思ったが、いやみったらしく「瀕死の重傷」と言うといってそれでも何とか連絡してくれた。 私はちょうど彼の一回りばかり下で、退職後はゴルフに散歩という自適の毎日であった。 近くのゴルフ場のメンバーになり、会社時代の仲間と一緒に月一,二回のコンペを楽しんでいるが、四十人くらいいるその中に紅一点、六十歳くらいのkという名前の女性がいた。 震災後、三宮の飲み屋のママをやめたと言うことを聞いていたが、まだそのころの名残の色気があった。 三日ほど過ぎてから、私は隣のよしみで彼を病院に見舞った。 頭を包帯でグルグル巻きにして、少し痛々しかったが年の割には元気だったのでホッとした。 見舞いには女性の先客が、後ろ向きに座っていて親しげに話をしていた。 その人がこちらを振り向いたとたん、私はあっと驚いた。 kがそこに座っているではないか。 「知らぬが仏」とはこういうことを言うんだろう。 こんなことがなければ、彼の彼女がkだったと言うことはわからなかった事だが、 デートにまつわる今回の出来事をあっけらかんと話してくれた「ムッシュ・ぺロウ」は、私達夫婦にとっては愛すべき隣人である。 > 平成16年4月24日 > ではまた。