ウイスキー、ベン・ジョンソン、村上春樹。
しかし、すぐに影響を受けてしまう。今日は村上春樹”もし僕らのことばがウィスキーであったなら”(平凡社、1999年刊、1400円)を読んだ。題を見ていただくとわかるとおり、村上春樹が妻とともに2週間、イギリス・アイラ島、アイルランドをウィスキー、パブ中心に経巡った、村上氏の妻、陽子氏の写真も美しい、格別の1冊だ。内容としては、雑誌に2回に分けて掲載されたもので、分量的には1日ですぐ読めてしまう程度だが、その内容と写真は、手元において何回か読んでみたい、と思わせるものだ。気に入った個所を2つほど引用してみる。観光名所もない、過疎の島であるアイラ島の、厳しい冬。”しかしながら、そんな悪い季節にもわざわざこの辺鄙な島に足を運んでくる人々は少なからず存在する。彼らはひとりで島にやってきて、何週間か小さなコテージを借り、誰に邪魔されることもなくしずかに本を読む。暖炉によい香りのする泥炭(ピート)をくべ、ちいさな音でヴィヴァルディーのテープをかける。上等なウィスキーとグラスをひとつテーブルの上に載せ、電話の線を抜いてしまう。文字を追うのに疲れると、ときおり本を閉じて膝に置き、顔をあげて、暗い窓の外の、波や雨や風の音に耳を澄ませる。つまり悪い季節をそのまま受け入れて楽しんでしまう。こういうのはいかにも英国人的な人生の楽しみ方なのかもしれない。”(P.20-21)こうして、文章を書き写していると、書き写す、という行為は、読む、という行為より、より深く内容が頭に入ってくる気がする。絵、でも、模写、をすると、絵全体を見て受ける印象とは別の、画家が一枚の絵を描く際に、どのように感じ、どのように描きたかったかが、よりストレートに体感できるのと似ている、と思った。で、この文章に書かれているようなスタイル、に強く惹かれた。寒さには滅法弱い僕だが、ただ、寒さは頭を、意識を透明にしてくれる作用がある。独りで、ウイスキー片手に、こんな休日、いいなー。もうひとつ引用する。現地で村上氏を案内してくれた蒸留所のマネージャー、ジム曰く、”「ウィスキー造りを僕が好きなのは、それが本質的にロマンチックな仕事だからだ」 「僕が今こうして作っているウィスキーが世の中に出て行くとき、あるいは僕はもうこの世にはいないかもしれない。しかしそれは僕が造ったものなんだ。そういうのって素敵なことだと思わないか?」”(P.45)思う。なにかを造りたい、なにかを人に伝えたい、という気持ちはすごくよくわかる。そんなしごとができる人はすばらしい。村上春樹を僕が読んだのは、たぶん大学生の時。宮城教育大学のロビーで、人を待っていたとき、テレビではオリンピックの100M走で、ベン・ジョンソンが世界最速のスピードで勝利を飾っていた。彼がその後ドーピングでメダル剥奪されたとしても、多分今までの人類史上、1番か2番くらいのスピードで走った事実は事実だ。そんな映像を見ながら、”ノルウェイの森”を読んでいた。もう大分流行っていたから、いまさら読んでいる、的ななさけなさもちょっと抱きながら。僕と村上春樹の共通点は、出身地が近い、というくらいだが、それだけでも大分違う。そのあたりの生まれ、ということを、誇りに思う、というと大げさだが、悪くないと思っている、そんな感じが彼の文章から感じられる部分が好きだ。 そんな彼のこの1冊(笑)、写真のなかの、羊やら、猫やら、なんやらが、真正面からこっちを見ていて、ドキっとする。で、ウイスキーが飲みたくなるのである。今までは、ほとんどバーボンしか飲まなかったのですが・・こんど、シングルモルト、氷を入れず、水(水道水)を置いて飲んでみよう←ほとほとすぐ影響されるヤツだな(呆れ)。