カテゴリ:エッセイ集
先ほど、美味しくはないホテルの朝食をすませ、しかし、珍しく珈琲が不味くなかったので、部屋に持ち帰った。5種類の朝の薬を飲み(我ながらイヤになる)、さすがにミルクを足して珈琲、煙草。
昨日、機内で生徒の小論文指導の問題、過去問現代文などを一通り通読したので、朝に少しずつ解いておけばいい。仕事のON・OFFは昔から切り替えられない。ちょっと遊んでいると思ったら、次には何か解いている。まあ、最近は壊れた蛍光灯みたいに、時々ちゃんと解くのだが、大体はいい加減だ。今の2年の演習など、大半が以前解いた問題だから、何も予習しないで授業にしている。 そんなふうに、仕事も遊びも、まったく別のことでもなく、グラデーションの濃淡の問題になっている。競技をリタイアしたって、弓もやるときは真剣だ。麻雀だって同じことだ。ピアノも真面目に練習している。 話は変わるが、児童手当の所得制限を上げ、高校生まで拡大するそうだが、それもいいことだ。その財源が社会保障費だそうで、野党は「隠れ増税」だと息巻いているが、ない袖は振れないのだからしょうがないではないか。もし、野党の要求通り、ばらまきを続ければ、円はいくらでも刷れるが、そうなると円の価値はさらに下がり、ハイパーインフレが現実化するだろう。そもそも、高齢者を含め、子育てをしていない人から徴収して、子育て中の家計を助けるというのは、「再分配」であり、国家の政策の根幹である。再分配せず、いくらでもお金を刷ればいいというのは、ラテン系の国家がデフォルトに陥る道なのに、それを知っていて、「隠れ増税」というのは間違っている。特に高齢者が、少ない年金から徴収されるのは、と言うのはおかしい。子育て以前に、介護はとっくに「社会化」しているのであり、高齢者自身、そのおかげを大いに蒙っているではないか。一日数百円の負担で、送迎付きで入浴介護、食事介護をしてくれるのは、誰かが90%負担してくれているからだ。自分が姥捨て山にも捨てられず、生きているのは介護保険制度のおかげなのだから、自力で子育てができない人たちを助けてやるのはお互いさまだと、なぜ思えないのか。 まあ、そういう良識はほとんどの人は持っている。持っていないのは野党と、一部のマスコミだけだ。だから、ひどい政治が続いても、政権交代は起こらない。 少子化対策は、しかしもう手遅れだろう。ちゃんとした人材を育てないと、教育も、保育も劣化する。福祉の劣化も根本的には福祉労働の低賃金にある。いくらハコモノを建て、制度を設計しても、低賃金のキツい仕事に人は集まらない。 このまま少子化は進み、日本は子どもが夢を持てないどころか、夢を持つ子どもがそもそもいない、そんな社会になる。そういう下り坂の始まりに、自分の老後はある。まあ、自分の生活だけは守れるように手は打ってあるのだが、うまく行くかどうかは分からない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.02.17 08:06:58
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