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カテゴリ:今日の一言
先に結論ありき。一見、慎重に検討するふりを装いながら、実は結論はとっくに決まっている。そんな日本政治の悪弊が、またもや原発再稼働問題で繰り返されようとしている。
野田佳彦首相は東日本大震災から一年の記者会見で再稼働を判断する手順について、こう説明した。 まず首相と藤村修官房長官、枝野幸男経済産業相、細野豪志原発事故担当相の四人は原子力安全委員会が実施する安全評価(ストレステスト)の妥当性と地元の理解をどう進めていくかを確認する。 そのうえで「政府を挙げて地元に説明し理解を得なければならず、私も先頭に立たなければならない」という。つまりテストの結果を首相たちが妥当と判断して、それを根拠に「だから再稼働を認めてください、と地元を説得しますよ」という話ではないのか。 初めから再稼働の結論が決まっているのだ。それならなぜテストをするのか。「安全かどうか分からないから試験する」のがテストであるはずだ。それを結果が出る前から首相自ら再稼働に向けて説得に乗り出す、と宣言している。 こんな茶番劇を許してきたことが原発事故を引き起こした遠因である。科学的判断よりも政治的判断を優先しているのだ。それとも首相はテスト結果を「妥当でない。だから再稼働を認めない」という結論を出す可能性があるというのだろうか。(【私説・論説室から】また茶番を繰り返すのか 東京新聞より抜粋) 私は、御承知の方も多いと思われますが反原発の立場です。 しかし、この記事を読んで私自身の中で気がついたことがあるのです。 結果ありきといえば、私も反原発の意見を述べたり、書いたりする際、反原発の主張を持っているということは私も結果ありきではなかろうかと...。 反原発の方々の中では、反原発の意見はあまりにも常軌を逸していない限り受け入れられやすい。 しかしながら、原発推進の方々にとっては、結果ありきと映り、内容以前に拒否されてしまうようなアプローチになってはいまいか。 私が述べる理由は、仲間うちで盛り上がるためではなく、原発推進派の方々にも一つの意見として認めて頂きたいという願いがあるのです。 ですから、私がどちらかの立場かなどといったことは、反対サイドからしてみれば関係ないことであると気がつかされたのです。 最近、東大話法などといった言葉が流行っておりますが、実は多かれ少なかれ皆似たようなことをしているのではなかろうかと感じます。 問題があるとすれば、社会の中の事実に基づいた真実から遠のいてしまうといったことによる負の連鎖をどのように調整解決していけるのかということなのではなかろうか。 事実がねじ曲がってしまっているような事柄には、どういった対処方法が望ましいのでしょうか。 その辺を突き進めながら、眺めて議論していくことにより、今現在山積みになっているように見受けられる問題も、徐々にではあるのでしょうが片付いていくことになるのではと感じました。 今日もよろしくお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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