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カテゴリ:詩(うた)
暖かな春風にのって、雪のように舞い散る桜を見ました。
桜吹雪とはこのことか。 日本では古来、梅が愛され桜の花見の風習は江戸時代からですが 源平、新古今和歌集の時代に生きた西行(さいぎょう1118~1190)は 桜を愛した人で230首も歌ったといいます。 桜吹雪のなかにいて、彼の代表作を思い出しました。 願はくは 花のもとにて われ死なん そのきさらぎの 望月のころ 願いが叶うなら桜が咲く下で春に死にたいものだ。 その2月の満月の頃、ちょうど釈迦が涅槃に入った日に。 俗名 佐藤義清、廷警護にあたる北面の武士で、前途洋々の若者であったが 23才で出家し晩年まで諸国を行脚。彼の生き様や美意識はその後の日本人に 影響を与え、桜をめでる文化につながったのかもしれません。 釈迦入滅の日が旧暦二月十五日。 西行が亡くなったのは七十三歳で1190年の旧暦二月十六日。 「きさらぎの望月」の翌日。 西行は歌のとおり、「そのきさらぎの望月の頃」に亡くなりました。 きさらぎ、二月が桜の季節?・・『源氏物語』「花宴」の巻でも春二月、 きさらぎ月に桜の宴が開かれ、和歌を交わし、音曲を奏し舞いを興じたと 語られています。 旧暦ですから、年によって月と季節感が微妙にずれてくるので、 「きさらぎの望月の頃」に桜が咲く年もあるわけですね。 3~5年のサイクルで「きさらぎの望月の頃」が新暦でいう4月にかかります。 西行が死んだのも新暦の3月29日にあたる年だったのです。 ながむとて 花にもいたく 馴れぬれば 散る別れこそ 悲しかりけれ 美しいとずっと眺めていたら、花にも大変に愛着を持ってしまったから、 散る別れがとても悲しくなってしまいました 梢(こずえ)うつ 雨にしをれて 散る花の 惜しき心を 何にたとへむ 風に散る 花の行方は 知らねども 惜しむ心は 身にとまりけり 自分の想いとはうらはらに毎年散っていく桜に惜別の情を込めています。 西行は別に桜が散ることに執着しているのではないでしょう。 定めとわかっていてなお、その別れを惜しむ。 桜の花に出会いや人生そのものや色んな事を重ねてみると趣きがありますね。 花は散っても葉が出て実がなりまた冬を越して花を咲かせる。 その繰り返しに何を見るか。 元はひとつだと気付けば、永遠の別れなどないのです。 それを知れば別れさえも楽しいイベントにできるはず。 それでもやはり、人の心に惜しむ心はあり、それもこの世の人生ならではの 醍醐味なのではないでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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