カテゴリ:Nostalgia Sketch
夕焼け空にヒグラシの声が溶けて夜になる。
夕食後、エアコンで淀んだ空気を夜気と入れ換えようと窓を開けると、 ポン、ポン、と花火の音が聞こえてきた。窓から身を乗り出して見回すが、 屋根の隙間には夜があるだけだった。 はるか遠くの花は、見えない。 だが、耳を澄ませば、遙か遠くの花がまぶたに浮かんでは消えていく。 高校時代、北国の夏はここほどではないがやはり暑く、熱気のこもった音楽室で、 入道雲を見ながら秋のコンクールに向けて練習に励んでいた。 午前中の練習が終わり、昼食となる。昼食はパートで固まって摂ったり、 少人数の部だったから全員で車座になって摂ったりもしたけれど、 その時は自然に学年で固まる形となった。 最後の夏休み、最後のコンクールや受験のことも気にはなっていたけれど、 ずっと一緒にやってきた仲間が集まったのだ。そう言ったことは一切忘れて、 他愛のない話をスパイスにランチは和気あいあいと続いた。 そんな中、だれかがふいにこんなことを言い出した。 「花火、行かない?」 その日は市民公園側の河原で市の花火大会があった。その花火のように、 賛同の喚声がわっと広がる。そうなるとこういう時に活躍する仲間が イニシアチブを取って、あっという間に集合場所と集合時間が決まった。 部長の僕の権限で部活が1時間早く終わり、とりあえず散会。 僕もいったん家に帰り、学生服から私服に着替え、集合場所へ向かう。 陽射しの弱りはじめた空の下、はやる心を煽るように、自転車を漕ぐ足に力が入る。 3年になって初めて同じクラスになってから、ずっと気になっている子がいた。 今は他にやることがあるから、と自分の弱気に言い訳しながらも温め続けていた 思いだった。 市民公園の中にある図書館の駐輪場に自転車を止め、先に来ていた仲間と まだ来ない仲間を待つ。集合時間にはまだ間があったけど、どんどん膨らむ 河原へ向かう人の波に少しずつ焦りを覚えはじめていた。 時間ギリギリになって、あの子が親友と一緒にやって来た。 あの子を見た仲間から、冷やかすような喚声が上がる。 彼女だけが、髪を上げ浴衣を着て現れたのだ。 男子は眩しい気恥ずかしさに顔を伏せ気味にちら見し、 女子は自分も着てくればよかったと羨ましそうに話しかける。 全員集まったところで河原に移動。 もういっぱいにふくれた河原ではなく、近くの見晴らしのいい土手から 花火を眺めることになった。僕は隠し味程度の作為の混じった自然な流れに 沿って、彼女の隣に並んだ。 まだ昼の名残が山の稜線を微かに染める中、最初の花火が上がる。 花火のドンと地に響く声に続いて一斉におおっと言う歓声が空に向かって続く中、 彼女の横顔が赤く染まった。 花火を見終わった後は、しばらく公園内の縁日で遊んだが、 賑やかな公園を歩いているときも、彼女の下駄の音だけははっきりと聞こえていた。 今となっては、彼女の浴衣の柄すらもよく憶えていない。 だが、夏の雑踏の中、女性の下駄の音が聞こえてくると、 ふいに彼女の下駄の音が蘇り、あの時の気恥ずかしさと彼女の横顔が浮かんでくる。 遙か遠くから聞こえてくる、遠花火のような音がほの甘く響く。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.08.09 01:23:34
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