カテゴリ:Nostalgia Sketch
恋と呼ぶには淡く、静かに僕の中に生まれてはいつの間にか通り過ぎていく。
彼女への想いは、秋の日の午後のように僕の中に静かに佇んでいた。 北の地にある僕が通っていた高校の文化祭が開かれたのは、 一足早く陽射しが秋のものに変わった頃だった。 地味な学校だったせいか文化祭と言ってもお祭りの要素は薄く、 1年がやることと言えば合唱コンクールの練習とバザーの出店の支度、 あとは文化祭で何らかの発表がある部にいる人はその手伝いと、 その準備さえも校風に合わせたかのように地味に静かに進んでいた。 そんな文化祭の中で唯一と言っていいほどの華やぎを持っていたのが、前夜祭だった。 セピア色に変わりかけた写真のように地味な古さを感じさせる学校だったせいか 前夜祭では全校生徒が校庭に集まってのフォークダンスが行われていて、 地味で素朴な学校の生徒たちは女子と手を繋げるという何とも時代遅れな喜びに胸躍らせていた。 夕闇迫る校庭に文化祭の準備を終えた生徒たちが集まり、 クラスごとに整列してから3つの円を描く。 最初に踊るパートナーはその円ができあがったところで決まるのだが、 僕の横に立っていたのが彼女だった。 白い肌に整った目鼻立ち。学校中で誰もが目に留める子だった。 今ほどスカート丈も短くないし、高校生が化粧をする習慣もない時代だったから 今時の高校生の南国の花のような華やぎはなかったけれど、 草原の中に一本だけ顔を空に向けている鉄砲百合のような 凛とした華やぎを持った人だった。 そんな彼女と同じクラスにいた僕は、他の男子と同じように教室や体育館にいる彼女の姿を追い、 たまに彼女と視線が合うとぶっきらぼうに顔を背けたりしていた。 彼女に恋していたのかと聞かれたら、僕は少し考えた後で首を横に振るだろう。 自分とは釣り合わないという悲しみの混じった諦めの中、 美少女と同じクラスにいるという喜びを感じる。 そんなあまりにも淡い想いだった。 彼女の斜め後ろに立ち、いよいよフォークダンスが始まる。 彼女の最初のパートナーになれるという喜びが顔に出ないよう硬い表情をしていると、 体育の先生がマイク越しにこう告げた。 「まず、ダンスをちゃんと覚えているか確認するので、 しばらくパートナーチェンジせずにやるから」 あの時の驚きと戸惑いとときめきは、今でも微かに憶えている。 僕は右手を彼女の肩の上、左手を彼女の腰の横に持って行き、彼女の指先に触れると音楽が流れ、 僕は指先の感触と鼻をくすぐる髪の匂いに感じながら彼女と同じステップを刻む。 短い旋律が繰り返される中、僕と彼女は踊り続けた。 踊り続ける中、最初は薄紙を挟むように触れるか触れないかという距離を保っていた指先も、 そのうち少しずつ距離を縮めていく。 すると、彼女の指先が荒れていることに気付いた。 そしてその荒れが水仕事によるものであることもすぐに分かる。 明るい華やぎを持ち、友達と遊ぶことが何よりも楽しそうな彼女には似合わない荒れだった。 その意外な荒れに驚いてはいたが、同時に家族と一緒にいるときの彼女を かいま見たような気がして、多分他の男子は知らない彼女の一面を僕だけが 見つけたような喜びが沸き上がってくる。 僕はそんな喜びを無理矢理押さえつけるように、わざと大げさに動きながら ステップを確認するように「いち、に、いち、に」と声を出し始めた。 そんな僕に彼女はクスリと笑うと、少し振り返って僕にほほえみかけた。 四分の一周ほど回ったところでステップの確認は終わり、 もう一回踊ったところで彼女は去っていった。 お互いのパートナーは次々に変わっていき、彼女は夜の中に消えていく。 母校の前夜祭ではもうフォークダンスもなくなり、 僕自身もあの時憶えたステップを忘れてしまった。 全ては記憶の彼方に消えてしまったが、 夕闇迫る中文化祭の準備にいそしむ生徒たちの声を聞くと、 あの時感じた彼女の記憶が指先に蘇るような気がしてくる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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