定時制教員のつぶやき

[Day] カテゴリの記事

全80件 (80件中 51-80件目)

< 1 2

• 

  秋桜

  秋桜はCOSMOS（宇宙）のほうを見ている。

  2004.11.13

  コメント(0)

• 戯れ言三題

  職員室に新しいコーヒーが届いた。職員室には一杯用のドリップがいつも置いてあって、飲みたくなったらポット横のケースから好きなヤツを取り出して、自分で淹れて飲む。新しく届いたパックに「チョコレートコーヒー」なるものがあった。どんな味かと、おそるおそる淹れてみると、チョコの香りが辺りに満ちてくる。一口飲むと、チョコを一口食べた後でコーヒーを飲んだ時の味が口の中に広がる。「でも、これだったらチョコを食べながら普通のコーヒーを飲んだほうがいいですね」一緒に淹れた先生がポツリと呟く。全く同感。１年の授業に行くと、生徒から「先生、髪切った？」と声をかけられる。週末に髪を切り、ついでに髪型もちょっと変えた。この前は店で勧められた坂口憲二風という髪型にしたのだが、生徒からあまり似合っていないのと言われたので、また別のものにしてもらった。「今度は何風？　うーん。ペ・ヨンジュン？」ちゃうわ！その言葉に、他の生徒も釣られて笑う。とりあえず今の髪型は生徒から「ぺ・ヨンジュン風」と呼ばれるようになったが、ぼくのことを「ユン様」と呼ぶ生徒はいなかった。タバコが不味く感じ、風邪を引きかけていることに気付く。数年前から、冬になると心臓の辺りが冷えるようになった。冷たい手で心臓を鷲掴みされるような感じというか、心臓だけ体温が下がって動きが鈍くなるような錯覚すら憶える。中学の頃から年に１～２回、心臓が不整脈のような、突然アレグロのテンポを刻むことがあった。気になって病院で調べてもらったこともあったが、異常はナシ。心配いりませんよと言われたが、僕の心に小さいが染みのような黒い点が刻まれた。僕は、夏風邪は胃や腸に来て、冬の風邪はノドと心臓に来る。僕が死ぬ時は、心臓発作か消化器系の病気だろうと思っている。だから、最近タバコの本数が増えたけれど、肺ガンでは死なないと思っている（笑）***************************************************************************昨日（11月８日）、おかげさまで１万アクセスを達成しました。これも偏にご縁があって訪れてくださった方々のおかげです。本当にありがとうございました。10000アクセス目は、22時７分にYAHOO!BBからアクセスしてくださった方でした。これからも、どうかよろしくお願いします。ゆき

  2004.11.08

  コメント(0)

• 残照

  家に帰ってきた時には辺りはすっかり暗くなっていて、真っ直ぐ並んだ街路灯は一定間隔でその足下を照らしていた。多分、この上をセスナ機か何かで飛んだら、滑走路に見えるのかもしれない。玄関の鍵を開ける前にポストを開くと、絵はがきが１通だけちょこんと横になっていた。取り出してみると、さっきまでこの辺りを照らしていたのとは同じものとは思えないくらいきれいな太陽が、見たこともないくらいきれいな海に沈もうとしている写真が印刷されていて、裏返すと見たこともない切手の横に、見たことのある名前が二人分並んでいた。大学時代の友人が新婚旅行先の南の島からくれた絵はがきだった。家に入り、コーヒーを淹れてから、改めて眺める。二人とも同じサークルのメンバーで、結婚式に呼ばれてはいたのだが、ちょっと遠かったので欠席させてもらった。そんな薄情な人間なのに、わざわざ二人だけの時間を僕のために使ってくれたのが、ちょっと嬉しかった。ハガキには、親友とも読んでもいい友人の文字で『これと同じ夕陽をさっきまで眺めていた。こんなに夕陽を眺めるのも、　夕陽がこんなにきれいに見えたのも、初めてだよ』と書いてあった。なんだよ。持って回ったノロケじゃないか。思わず、ハガキに向かって突っ込んでいた。そしてその下には、サークルではマドンナ的存在だった彼女の文字でこう書いてあった。『わたし、幸せです』彼女の人柄を表したような、ちょっと細いペンで書かれて行儀よく並んでいる文字を、僕はじっと眺めた。その短い言葉が、もう何年も聞いていない彼女の声に乗って僕の頭の中で何度もリフレインする。そしてその言葉を深読みしようとする自分と、額面通りに受け取ろうと頑なになる自分がせめぎ合っていた。そうだよな。このハガキだって、きっと二人でじゃれ合いながら書いたんだろうし、僕に出したのだって、二人の両親や身近な友人たちにハガキを書いたんだけど一枚余ってしまって、誰に出そうか話しているうちに結婚式に来なかった僕の名前が出て、独身の僕を羨ましがらせようという話になって書き出したんだろうし。彼女がこの一言を書いている時だって、頭の中には僕よりも隣にいるアイツのことのほうが大きくなっていたんだろうし。別に「わ」の字を書く直前に昔のことが頭をよぎったりはしなかっただろうし。僕は絵はがきを、夕陽の写真のほうを上にして引き出しに放り込む。めったに開けない引き出しの中で、夕陽は沈む前の最後の光を放つ。その光が完全に消えるまで、もう少し時間がかかるのかもしれない。

  2004.11.06

  コメント(1)

• せっかちなトナカイ

  先週までの寒さはどこかに消え、雨上がりの雲の切れ間から差し込む日の光と共に、懐かしい温もりが街を包む。ちょっと暑くなって、上着を襟に手をやって少しぱたぱた仰ぐと、少し湿った風が吹き込み、シャツを通って汗の浮かんだ肌を心地よく撫でてくれた。出勤前にデパートに寄ると、ディスプレイウィンドウには白い星飾りの下を気の早いトナカイが駆けていた。今年も残り２ヶ月という声が聞こえるようにはなったけれど、まだ２ヶ月あると思いたい僕としては、こんなものに出会うと、まるでトナカイに背中をぐいぐい押され、さ、今年もあと僅か、急いで年末の準備をしないとダメだぞと言われているような気がして、ちょっと気が滅入ってくる。秋だってまだ残っているんだから、もう少しゆっくり味わったっていいじゃないか、いくら次に美味しい料理が控えていたとしても、今食べている皿を無理矢理下げられたり、早く食べろと急かされるのは、あまりいい気持ちじゃないだろう。どこかユーモラスなトナカイに心の中で呟いてみるが、トナカイはそっぽを向いて星に向かって足を伸ばしていた。焦りで心が浮き足立って、思わず大声を出して駆け回りたくなる衝動を無理矢理抑える。まだ大丈夫、まだ大丈夫。僕はトナカイを見ないように気をつけながら、足早にデパートに入り、８階の書店に向かった。

  2004.11.01

  コメント(0)

• 

  秋の向日葵

  出張先の昼休みは、時間を潰すのに時々苦労する。知り合いがいなかったり、いたとしても他の人と固まっていたりすると、集団の中で一人ポツンと過ごさなければならないからだ。（綿矢りさ風に言えば、「さびしさは鳴る」というところか）だから昼休み鳴るとさっさと学校を出て、喫茶店で時間まで粘ったり、ぶらぶらと散歩をして過ごしたりする。その日の出張先は住宅街のど真ん中の学校で、一番近いコンビニもバス停留所２つ分の距離にあり、持ってきたカロリーメイトでお昼を済ませると、さて残りの時間をどうやって過ごそうかと思案していた。会議室に残って本を読むことも考えたが、それも息が詰まりそうだったので、デジカメを取り出すと外に出た。校内をぶらぶらと歩き、目についたものをカメラに収める。台風の後に吹き込んだ寒気のせいで外は少し肌寒く、秋の陽射しが照っているけど、外でお昼を食べている生徒は見えない。締め切った学校の中から、昼休みのざわめきが外にくぐもった響きが伝わってくる。ちょうど正門前に作られた花壇の横を通ると、黄色い花が咲いていた。向日葵みたいだが、その茎は細く頼りなく、高さも近くに咲いている秋桜とそんなに変わらない。ルドベキアかな？そう思い、１枚だけその花の写真を撮る。写真を撮って顔を上げると、じょうろを片手に持った女性が僕を不思議そうな顔で見ていた。恥ずかしさを誤魔化すように慌てて礼をすると、その女性も戸惑った顔で礼を返してくれる。「これ、何の花ですか？」ちょっとうわずった声で問いかけると、その人は「ああ、これ、向日葵なんです」と笑いながら答えてくれた。向日葵に見えないでしょう。そんな響きがある。僕はもう一度その花を見ると、確かに向日葵だ。ひょろひょろっとしていて夏の向日葵のような力強さはない。太陽と向き合っていない花も小さくて、どこか今頃咲いていることを羞じているようにも見える。そんな向日葵だけど、台風にも負けず、しっかり根を張って花を咲かせている。向日葵は夏に咲くことこそふさわしいと思うが、秋の向日葵だって、秋の透明な陽射しの中で、静かに美しく咲いている。僕はもう一度カメラを構えると、穏やかに揺れている向日葵に向かってシャッターを切った。

  2004.10.26

  コメント(0)

• 大人ごっこ

  入り口横のハナミズキが色付くにつれて、図書館の中も人で溢れていく。読書の秋だからというよりも、図書館で受験勉強をする人が増えているからだろう。住宅街の図書館だから、駅そばの中央図書館ほどひどくはないけど、それでも閲覧室は受験生ばかりだし、書棚の隣に置かれた、本当は調べ物をする人のための机も受験生が使っていて、空いている席を見つけるのも一苦労だ。今日は時間があるから、全部の棚を端からゆっくり見て回る。こんな風に見て回ると、どの棚でも面白そうな１，２冊は見つかって、ついつい手に取ってしまう。中にはじっくり読みたい本も見つかるが、頭の中で今借りている本、読みたいと思って買った本、これから買う本、やらなければいけないことと、やりたいことを思い浮かべると、今借りても読まずに返すことになりそうだという結論が出る。でも、やっぱり読みたくなってついつい借りてしまう。結局、津原泰水の短編集と十年くらい前に一度読んだワンルームでの動物の飼い方の本を借りる。図書館の出入り口を入ってすぐの所に休憩スペースがあって、そこで勉強を終えた高校生らしき子らがパイプ椅子を車座にして話をしている横を通り過ぎ、暗くなりかけた図書館の外へ出る。赤から藍にグラデーションしかかった空をちょっと見上げて、図書館前の階段を下りる。階段を下りていると、一番下の段に腰掛けた二人が目に入った。見たところ小学生ぐらいだろうか。二人ともピッタリくっついて、男の子は女の子の肩に手を回し、大声で何か喋っては、自分で喋ったことに自分で笑って女の子と一緒に体を揺らしていた。この二人は僕が図書館に来た時にもいたから、一時間以上もここにいることになる。寒くないんだろうか、なんてちょっと心配するが、ピッタリくっついているから寒くないんだろうな、と余計なことも思った。二人の話し方や格好は、高校生やもっと上のカップルと同じだったが、幼さが抜けきれない二人だと、どこか滑稽でどこか微笑ましい。その二人ぐらいの頃は、僕も一日も早く大人になりたくて、大人の真似をするだけで少し大人に近づいたような気になっていた。でもそれは単なる真似でしかなくて、それが真似であることに気付かないのは子どもだったからだ、そのことに気付くのはもっと後のことだった。あの頃、僕はどんな大人になりたかったのだろう。そして僕はその真似をした人たちにどれくらい近づけたんだろう。僕の上に広がる空は、少し暮れかかっているけど、夜にはまだまだ早い。日が暮れるまで、まだ時間はたっぷりある。そう思うと、僕はちょっと小走りに家路を急いだ。

  2004.10.23

  コメント(2)

• 夕日に染まる「雨の木」

  昨日よりも一枚重ねて着たくなるような、少し肌寒く少し暗い日。朝からテスト問題作りに取りかかる。教科書と資料集をPCの横に置き、机のすぐ隣にあるベッドの上には国語辞典と現代用語の基礎知識。膝の上の授業案のメモを見ながら問題を考え、辞典や資料集で確認しながら一太郎に打ち込んでいく。背中越しに武満徹の『雨の樹　素描』（1982）が聞こえてくる。このまるで綺麗に並べられた音符を一度バラバラにほぐして掌にまとめ、掌の中の音をゆっくりと地面に向かってこぼしていくようなこの曲を聴くと、雨に濡れた樹の幹が月の光を反射してキラキラと光っている様子が頭に浮かぶ。なぜこの曲を聴いているのかといえば、ついこの前の長雨の時に大江健三郎の『「雨の木」を聴く女たちを』を読み返していたからだ。　　──「雨の木」というのは、夜中に驟雨があると、翌日は昼過ぎまで　　その茂りの全体から滴をしたたらせて、雨を降らせるのだから。　　他の木はすぐ乾いてしまうのに、指の腹くらいの小さな葉をびっしりと　　つけているので、その葉に水滴を溜め込んでいられるのよ。　　頭のいい木でしょう。　　　　　（大江健三郎「頭のいい雨の木」より）武満徹のこの曲は、大江健三郎のこの短編からインスピレーションを受けて作曲したそうだ。夕方、一段落ついて窓の外に目を遣ると、空を覆った雲が赤や紫に染まっていた。窓から見えない西の空には雲の切れ間があるようだ。どこかに哀しみの雨に打たれていても、その雨を自分のための潤いに変え、夕日を浴びて美しく輝く「雨の木」があるのかもしれない。雲はゆっくりと色合いを濃くし、やがて静かな夜になる。

  2004.10.16

  コメント(0)

• 定時制教員が定時制のドラマを観る

  指揮者の岩城宏之氏のエッセイにこんなエピソードがある。岩城氏があるステレオのCMに出演することなるのだが、そのCMがオーケストラのリハーサルの終わったステージで岩城氏とスタッフがステージの上に置かれたステレオでリハの演奏を聴く、というものだったらしい。CM収録の当日岩城氏が会場に行くと、ステージ上は既にセッティングされていて、椅子や譜面台が整然と並べられていた。が、岩城氏はそのステージを見るなり、「このままでは出演することができません。○○交響楽団の××さんを呼んで、ステージのセッティングをやり直してください」と言ったそうだ。岩城氏曰く、CM撮影の美術スタッフが並べた譜面台や団員用の椅子からは、オケがさっきまでリハを行っていたという雰囲気が感じられなかったらしい。その後、××氏が現れてセッティングをやり直すと、さっきまでオケがリハをやっていた雰囲気だけでなく、休憩して控え室に戻った団員たちのリラックスした様子まで浮かんでくるようになったそうだ。これは、オケやホールのステージマネージャーで大変優秀な人がいるということを紹介するエピソードなのだが、おそらくこの時の岩城氏と同じような違和感を感じた。帰ってから、ビデオに録画しておいたドラマ「めだか」を観た。始まって数分で、何かが違う、と感じる。最初はそれが何か分からなかったが、程なくしてその違和感の正体に気付いた。職員室や教室が妙に整然としているのだ。例えば職員室であれば、普通教師の机はもっと散らかっていて、机の上には書類ケースや授業で使うプリントで溢れかえっているだろう。あんなに机の上が片づいているのは、休み中に重い腰を上げて掃除した時だけだ。もっとも、一人ぐらいはあんなに整頓された机の先生はいるが、全員があんなに机の上を綺麗にしている学校は見たことない。教室も妙に整頓されていて、全日制も使っている教室なら（クラス名が「3-1」「4-1」と出ているからそうなのだろう）、もっと雑然としていると思う。ま、こんな現場に毎日出ている人間なら思わずしてしまうツッコミどころはあるが、全体的にはいいドラマだと思った。生徒がちょっと行儀よすぎる嫌いはあるが定時制の生徒の雰囲気は微かだが出ていたし、夜の学校の持つ独特の雰囲気も感じられた。なにより、ミムラを初めとして出演者が魅力的で、観ているだけで和んでくる。つくづく、第１回を録画し忘れたのが惜しまれる。まだ２回目だしこれからどうなるか分からないけど、定時制の持つ空気や生徒の姿を丁寧に描いてくれるといいな、と思う。とりあえず、来週の録画予約は忘れないようにしないと。

  2004.10.12

  コメント(7)

• 

  石榴

  秋が、はじける。晴れていれば何かと外に出る用事を作っては、あの石榴の下を通り、秋の光の中でその実が色を変えていくのを見守ってきた。秋の長雨がすーっと引いて、水色の紙に薄めた白絵の具をさっと流したような午後。しばらくぶりにその木の下の元へ行くと、石榴の実がぱっくりと割れ、その中で大切に育んできた赤い結晶を覗かせていた。それは小さな風船を空に放とうとしているようにも、ここまで成し遂げたと石榴が笑っているようにも見えた。ひょいっと手を伸ばして、その中から２粒だけもらう。口の中でゆっくり噛みしめると、ほんのわずかな果汁が舌の上を流れた。ソーダを一滴なめたようなその舌触り。石榴の味は、秋の実りという一つの終わりの味ではなく、次の季節への爽やかなはじまりの味のように思えた。

  2004.10.08

  コメント(0)

• いつか見た蜃気楼

  以前ここで伊藤精介著『銀座名バーテンダー物語』について書いたあと、急にその本が読み返したくなった。押し入れの奥から本をしまった段ボールを取り出すが、どうも見つからない。何度かの引っ越しのどさくさに無くしてしまったのだろうか。その後、市立図書館やよく行く古本屋を回ったが、見つけることはできなかった。読めないとなると余計に読みたくなるのが人情だが、これではどうしようもない。僕は残念な気持ちを紛らわすため、それからしばらくはバーやバーテンダーについて書かれた本を読みふけった。読みたいと思っていたことも忘れかけていたある日、出張先で時間が余ったのでぶらついていると、古本屋が目に入った。中に入って棚を眺める。商店街の中にある本屋なので、文庫本やかつてのベストセラー、家の隅で誰にも読まれずに埃を被っていたような本が多い。乱雑に並んだ文庫の棚を見ていると、ふいに一冊の本に目が引き寄せられた。『銀座名バーテンダー物語』！！僕はすかさずその文庫を手に取り、カウンターに持って行く。店主は、300円の文庫本を興奮気味に差し出す僕の顔を、まるで珍しいものでも見るような顔で見ていた。久し振りに読み返すこの本は、名バーテンダー古川緑郎さんの半世紀であると同時に、銀座の歴史、酒文化の歴史、戦中から戦後の記録、そして今はすっかり見かけなくなった「粋人」を描いた一冊だ。最初読んだ時、この本に描かれている「大人」に憧れ、この中に綴られているような「粋」の心を持った男になりたいと考えたことを思い出す。だが今は、ここに描かれているものを自分と隔絶した過去の物語と感じていた。「憧れ」とは蜃気楼のようなものだと思う。夢や希望に比べて儚く現実味を帯びてはいないが、それがどこかにあることを見る人に教え、いつか到達できるのではないか、という幻想を抱かせる。それから約10年。僕はここに蜃気楼すら見ることができなくなった。それは成長したからとも言えるかもしれないが、こんな「粋」を持った人間にはなれそうもない、ということを分かってしまったからのような気がする。僕はどちらかと言えば「大人げない」教師だ。生徒から将来についての相談や、相談とは言えない雑談の時、他の先生のように現実を見ろとは言わず、やりたいんだったらやってみろ、ただし本気でやれよ、とけしかける。生徒には蜃気楼を追いかけろとけしかけるくせに、自分のこととなると蜃気楼を見ることもなく、何もない風景の中でただ佇んでいるだけだ。そんなことを思って、知らずに苦笑が浮かんでくる。苦笑が収まると、今からでも目指せるかな、なんて無謀な考えが頭の中に滑り込んできた。金と心の余裕はないけれど、時代に、世界に、そして人々に優しい目を持ち続ければ、いつかは到達できるかもしれない。幸い、時間だけはまだたっぷりあるし。そう思いながら本を閉じると、僕は本棚の上から二番目の棚、大切にしたい本の並んでいる棚に、そっと滑り込ませた。

  2004.10.03

  コメント(0)

• 

  月光

  火曜の深夜、ある人の日記を読んだら急に外に出てみたくなった。鞄からデジカメを取りだし、時折車が行き交うだけの静かな住宅街に踏み入れる。80メートルおきに街灯の明かりがポツリポツリと路面を照らしているその道。明かりの届かないところはいつもならただ闇がどよんと横たわるだけなのに、今夜は冴え冴えとした光が闇の輪郭を浮かび上がらせていた。振り返り空を見上げると、満月の光が雲を突き抜けて地上に降り注いでいた。「日の光は体を健康にし、月の光は心を健康にする」確かヨーロッパの諺だったと思う。月の光を浴びていると、肌を突き抜けた光が心のよどみまで浄化してくるような気がして、この光を浴びながらどこまでも歩いてみたいという気になってくる。厚い雲に覆われてもここにいるぞと地上に向かってアピールする満月を見上げながら、今夜の月を教えてくれた人、数時間前に桔梗の花と共にこの月を見上げたその人の幸運を願いながら、僕は30分ほどの散歩を楽しんだ。 　　しろじろと身に月光を浴び、　　あやしくもあかるい霧の中で、　　かすかな姿態をゆるやかに動かしながら、　　目付きばかりはどこまでも、やさしさうなのでした。　　　　　　（中原中也「幻影」より）

  2004.09.30

  コメント(0)

• 

  見えない配達夫の到来

  最後の夏の光の中、秋の花々が咲き始めている。職員室のプリンターのインクをうっかり切らしてしまい、ちょうど僕の手が空いていたこともあって、近くのラオックスまで買いに行くことになった。ちょっと西に傾いた太陽が放つ夏の名残の光の中歩くと、じっと背中が濡れてくる。この前までなら不快だった汗も、今日はなぜか名残惜しく感じる。この暑さが過ぎれば季節は秋になり、夏がどこかに行ってしまうことが分かっているからだろうか。僕は最後の夏の光を味わうように、顔を上げて歩いた。ふと、ある民家の軒先に目が留まった。まだ青々とした葉の中に、まるで秋の萌芽のように熟しかけた実が覗いていた。無花果？季節が突然変わるわけでもない、夏と秋が交互に繰り返しそのうち夏が消えるわけでもない。夏の光の中、秋は芽生え、やがて開く時を待っている。どの季節であっても、新しい季節のために、意識的あるいは無意識のうちに準備している。例え暗い季節の中、いつまでもその季節が続くような気がしても、どこかで次の明るい季節の芽がゆっくり育っているようなものなのかもしれない。　　地の下には少しまぬけな配達夫がいて　　帽子をあみだにペダルをふんでいるのだろう　　かれらは伝える　根から根へ　　逝きやすい季節のこころを　　世界中の桃の木に　世界中のレモンの木に　　すべての植物たちのもとに　　どっさりの手紙　どっさりの指令　　かれらもまごつく　どりわけ春と秋には　　えんどうの花の咲くときや　　どんぐりの実の落ちるときが　　北と南で少しずつずれたりするのも　　きっとそのせいにちがいない　　秋のしだいに深まってゆく朝　　いちぢくをもいでいると　　古参の配達夫に叱られている　　へまなアルバイト達の気配があった 　茨木のり子「見えない配達夫」より 　　＊追記この日記を書いた後、紫苑さんからメールを頂き、写真は無花果ではなく石榴であると教えていただきました。お詫びして訂正します。そして紫苑さん、ありがとうございました。でも、石榴ですか……。実は、石榴は食べたことがありません。今度あの軒先を通ったとき、もぎ取る誘惑と戦うことになりそうです（笑）

  2004.09.22

  コメント(0)

• 陽射しの中で

  まだ離れてから半年も経っていないのに、この春まで勤務していた学校はどことなくよそよそしく感じられた。それは太陽が天辺に近い時に校門をくぐったのが初めてだったことや、校門のすぐ横の花壇に見慣れぬ花が咲いていたのも少しは関係しているのかもしれない。本当は校内発表の時に来たかったのだが、その日は平日だったので、土曜日の一般公開に行くしかなかった。見慣れない制服や私服の高校生や、生徒の家族と思しき人たちの中にいると、僕も招かれる側の人間なんだなと思ってしまい、ちょっとした居心地の悪さと一抹の寂しさを覚える。嘉門達夫の歌で「家に着くまでが遠足です」なんて言うフレーズがあったが、文化祭だって同じかもしれない。片づけが終わるまで文化祭。だから、準備が始まったときからも文化祭。本番だけ楽しむという美味しいトコ取りもあるけれど、どうせ楽しむのなら全部味わいたい。去年までは全部味わってきたものを、今年は一番美味しいところだけどほんの一部しか味わわせて貰えないというのは、なんか損した気分だ。校舎内に入り、パンフレットを広げながら、まずは３年のクラスを回る。去年は２，３年しか教えていなかったので、知っている生徒は３年がほとんどだった。一つずつ回っていくと、みんな僕のことを覚えて歓迎してくれて、いろいろと話しかけてくる子も多いが、みんな最後の文化祭を楽しんだり他のお客さんや知り合いの応対で忙しい。僕も本番だけに現れたという後ろめたさがちょっとあって、何となく居づらさも感じていた。できるだけ長くいたいと思ったのか、無意識のうちに食べ物を多めに注文したり、これ以上飲めないと分かっているのにジュースを買ったりして、その合間にちょっとだけ話す。捨て忘れてブリーフケースの中に入れっぱなしになっていたビニール袋にジュースを詰め、その中がいっぱいになった頃、職員室に挨拶に行くことにする。職員室に向かう廊下を曲がろうとしたとき、僕は振り返った。午後の陽射しの中で、見知った顔が笑いながら忙しくごった返す人混みの中で動き回っている。光の中で、あの子たちは輝いていた。でも、その光は僕のいるところまでは差していない。*********************************************************以前ご紹介した朝のリレーのCM

  2004.09.19

  コメント(0)

• センセイの鞄

  家から持って出た本が４冊　　「図説上杉本洛中洛外図屏風を見る」（小澤弘・川嶋将生　1994　河出書房新社）　　「世界の歴史10　西ヨーロッパ世界の形成」（佐藤彰一・池上俊一　1997　中央公論社）　　「シカゴ育ち」（スチュアート・ダイベック著　柴田元幸訳　1992　白水社）　　「暗黒館の殺人」上（綾辻行人　2004　講談社）行きがけに買ったマンガが１冊　　「のだめカンタービレ」11巻（二ノ宮知子　2004　講談社）筆箱として使っている化粧ポーチ（普通の筆箱ではとても収まりきらない）　　黒ペン２本　　赤ペン１本　　シャープが１本　　消しゴム１個　　シャープの芯１ケース　　修正テープ　　テープのり（これは本当に便利）　　デザイン用カッター（デザインをやっていたわけではないが、慣れると普通のカッターは使えない）　　赤のサインペン（テストの採点用）　　レーザーポインター（前の学校で同僚からもらう）　　15センチ定規　　３メートルの巻き尺（赤のサインペンとレーザーポインター以外は学部時代からほとんど変わらない）Ａ４のルーズリーフ１袋（５ミリ方眼）Ａ４のファイルケース２つ（紙製　５つセットで確か398円）　　授業で使うプリントや資料を入れたものと、今書いているものの資料やメモを入れたものフロッピーケース（中にはフロッピー３枚）煙草２個（マルボーロライト、１つは未開封）ライター、なぜか３つ途中でもらったポケットティッシュ折りたたみ傘サプリケース（中には亜鉛が10個、ビタミンＣ６個）飲みかけのペットボトル（サントリー烏龍茶）携帯電話（ドコモD505i）デジカメ（FinePix4500）MP3プレイヤー（NOMAD Zen NX　ちょっとかさばって重い)　　中には約10GB分の音楽ブルーブラックのボールペン青革のシステム手帳（夏以外は上着のポケットへ）　　これまで過ごしてきた日々の記録　　これから過ごす日々の予定　　この手帳に変えた時点友人とそれ以降にできた友人の住所　　日々思ったことのメモ　　ふっと思いついた短歌・俳句・川柳　　気の利いた（と、書いているときは思っている）フレーズ・会話・描写・シチュエーション　　読書メモ入れっぱなしで忘れていた小物出し忘れた手紙出せずにいる手紙書いたことすら忘れていたメモこの鞄にものを入れたときの、やる気をはじめとしたいろんな気持ち（果たして全部を鞄から出してやっただろうか。入れっぱなしでいつの間にか消えたものはないだろうか）　　そんな夜には、センセイの鞄を開けて、中を覗いてみる。　　鞄の中には、からっぽの、何もない空間が、広がっている。　　ただ儚々とした空間ばかり、広がっているのである。　　　　　川上弘美『センセイの鞄』より

  2004.09.16

  コメント(0)

• 階段の下の子ども

  日なたにいるとちょっと汗ばんでくる午後、いつもの場所で一服しながら空を眺めていた。空に浮かぶ雲はどこか夏雲のように立体的だけど、ちょっと風が吹いたらすぐに崩れてしまいそうな脆さがある。この暑さも今日限りと天気予報で言っていたっけ。「ははっ、はははは。どうだい？　ミステリー作家にはこんなトリック、子供だましに過ぎないのさ」「えっ、じゃあ……、本当に幽霊さんなの？」「もう、千鶴お姉ちゃんったら、十年ぶりに帰ってきたと思ったら、いきなりこの家を売るなんて言い出したんだよ」「あめんぼあかいなあいうえお。うきもにこえびもおよいでる。柿の木栗の木かきくけこ。きつつきこつこつかれけやき……」非常階段の下は演劇部の練習場になっているらしい。僕が非常階段で煙草を吸っていると、いつも下の方から早口言葉や、セリフの練習、大道具を作る金槌の音、他愛のないおしゃべりが聞こえてくる。いよいよ週末に迫った文化祭での発表に向けて、日に日に気合いが入ってくるのが、上で聞いていた分かった。演劇部の顧問の先生はここを自由に使うことを認めているようだが、姿を現したことはないようだ。ひょっとすると、毎日上で聞いている僕は顧問の先生よりも演劇部の活動内容に詳しいかもしれない。通し練習は見たことはないが、彼らのセリフの練習や場面場面の稽古は何度となく見ているので、劇のストーリーはだいたい把握している。彼らの劇のテーマは家族ということになるんだろうか。両親が亡くなった家に、四人兄弟の末娘が一人で暮らしていた。ある日、両親の法事で兄弟が久し振りにこの家に集まっていると、家出して十年間も音信不通だった長女がいきなり現れ、この家を売ると言い出した。それに対して他の３人は猛反発。議論がエスカレートするうちに、もともとあまりなかのよくなかった兄弟たちは喧嘩を始めてしまう。お互いに罵り合い、襟を掴んだり、突き飛ばしたり殴ったり……。そんな中、兄弟たちの喧嘩に堪りかねた、この家に長年住み着いている幽霊が現れ、喧嘩の仲裁を始める。突然現れた幽霊に驚いてしまって喧嘩をしていることを忘れてしまった兄弟たちは、幽霊と話をしながら、まだ両親が生きていた頃、家族全員で仲良く暮らしていた頃のことを思い出していく。やがて仲直りした兄弟たちは、これからも協力し合って生きていくことを誓い合う。途中密室トリックの謎解きがあったり、ムカデ競争があったり、金だらいが落ちてくるなど謎な部分はあるが、だいたいこんな感じのストーリーらしい。遅れてきた子の発声練習も終わり、部長が十分休憩してから通しで練習することを告げ、下から立ち上ってくる緊張感が少し緩んだ。演劇の声とは違う、お腹とは別の体の深いところから出る自然な笑い声が聞こえてくる。そんな彼らをぼんやり眺めていると、部員の一人と目があった。まるでテレパシーで伝えてるみたいに、部員たちが次々顔を上げて僕を見る。６月頃、給食で出たいなり寿司が大量に余ったことがあった。大皿に山盛りとなったいなり寿司は一応職員室に運び込まれたが、年配の先生が多いせいで、誰も手をつけようとしない。みんな最年少の僕に食べろと言ってくるが、僕だって限界がある。思案した僕は、発表会に向けた練習で遅くまで残っていた演劇部のみんなに差し入れとしていなり寿司を持って行ったのだ。お腹を空かせた彼らは僕を感性と共に迎え入れ、いなり寿司はあっという間になくなった。それ以来、僕は給食で何か大量に余ったときは彼らに持って行くようになった。「センセー、一緒にお茶しませんかぁ？」誰かが大声で僕に呼びかける。僕は時計を見て、まだ多少時間があることを確認すると、昔懐かしい「友達の輪！」のように大きな○を作って見せ、非常階段を下りていった。そう、あれ以来僕は彼らに差し入れをするようになり、彼らは休憩時間に僕が非常階段に出ていれば、お茶に呼んでくれるようになったのだ。考え見れば、２学期最初の彼らとのお茶だ。とりあえず台本でも見せてもらおうか。

  2004.09.14

  コメント(2)

• 

  異国の土産

  多分小学生だった頃、こんな話を読んだ。砂漠の真ん中に駅があり、その駅には３人の駅員が働いていました。砂漠の真ん中にあるような駅だから、そこから列車に乗る人も、そこで列車を降りる人もいませんでした。そんなわけだから、めったに止まらない列車はいつもその駅を通過していて、駅員たちはいつも退屈していました。ある日、一人の駅員がこんなことを言い出した。「一人ずつ交替で休暇を取って、旅行に出かけないか。この駅を利用する旅人がいないんなら、僕たちが旅人になってここから列車に乗ればいいんだ」他の二人も賛成し、駅員たちは一人ずつ旅に出ることになりました。最初の駅員が旅に出る朝、他の駅員は切符を切るはさみをぴかぴかに磨いたり、列車が止まる信号がちゃんと出せるよう、信号に油を差したりと大忙し。やがて列車が近づいてくると、ある駅員は停止の信号を緊張品柄だし、また別の駅員は恭しく旅人となった駅員の差し出す切符にはさみを入れました。そして旅人となった駅員は下りの電車に乗りこんだのです。しばらくして旅人となった駅員が帰ってきました。旅人となった駅員は他の２人に、珍しい果物のおみやげを机の上に置いて、下り電車に乗って行った、南の海の美しさをうっとりしながら語ったのでした。そして今度は２人目の駅員が旅人となり、今度は上り電車に乗り込んだのです。上り電車に乗った駅員が帰ってくると、おなじようにおみやげ（なんだったかは失念）を机の上に置き、上り電車で行った都会のきらびやかな様子を楽しそうに語るのでした。憶えているのはここまで。３人目の駅員がどこにむかったのか、この話の結末はどのようなものだったのかは、この話のタイトルと作者を忘れてしまったため、知りようがなかった。ある日、出張先で昔お世話になった先輩の先生から、見慣れない文字が記されたオレンジの袋を渡された。ミャンマーの土産だそうだ。大学時代に地理を学んだその先輩は、毎年夏休みなるとアジアの国々を回っていた。後ろの英語を読んでみると、タマリンドという果実を使った菓子らしい。帰ってから、一つ食べてみる。むにゅっという食感と共に、独特の甘みが口の中に広がる。何と言えばいいだろう。ゆずなどの柑橘系の果実の皮を乾燥させて砂糖をまぶした菓子に似ているような気がしたが、少し違うような気がする。例えるなら、ニッキ味の生八つ橋に砂糖をたっぷりまぶしたような味だった。そのままではちょっと甘みが強すぎるが、熱くて濃いお茶と一緒なら美味しいように思えた。ひんやりした風が窓から入り込み、半袖の上に何か羽織りたくなるような夜、ちょっと濃いめに淹れたダージリンを飲みながら、タマリンドの菓子を口に放り込む。口が甘ったるくなった頃、ダージリンを含むと、甘みと苦みと渋味が口の中でセブンスの和音のような、端整ではないが立体的で陶酔的な味が広がる。そういえば、今年はどこにも出かけなかったな、とそのとき思った。今年の夏はちょっとやりたいことがあって、一日中PCを叩いていた。そのことで思い悩むこともあったし、思ったよりも進まずにイライラすることもあった。でも、来年はどこかに行こうと思う。誰かが旅立つのを見送ったり、誰かが旅立つ列車が通り過ぎるのをホームの上から眺めたりするのではない。あの駅員のように、見知らぬ世界に出かけ、誰かにその世界の話をしよう。

  2004.09.12

  コメント(2)

• 

  秋の朝顔

  日差しが柔らかさを増し、僕の前を進む影の輪郭もぼんやりと淡い。脇を通り過ぎる風もすっかり秋のものだ。この前までずっと続くような気がしていて猛暑も、いつの間にか姿を消した。季節の変わり目は早い。全ては唐突に姿を変える。外に出るのが苦に感じられなくなったある週末、伯父の家に遊びに行く。伯父にパソコンの指導をし、リビングで午後のお茶を飲んでいると、今年小学校に入学した従兄弟の子の真帆ちゃんに遊ぼうと誘われた。真帆ちゃんの愛犬、ダックスフンドのココも僕の足下にまとわりついて一緒に誘ってくる。庭で遊ぼうということになり、サンダルを借りて庭に出る。真帆ちゃんと一緒にボールを投げてココに取りに行かせたり、ココにひもを加えさせて綱引きなんかをする。伯母が丹誠を込めた庭は、いつも青々とした緑の中に様々な色が輝いている。そんな庭の中で一番日当たりのいい場所に見慣れない鉢が置いてあった。真帆ちゃんが学校で育て、夏休み前に持って帰った朝顔の鉢だ。近づいて見ると、夏は既に去ってしまったのにピンクの花を咲かせていた。昼過ぎなので少し萎れかけてはいたが、それでも大きな花を咲かせている。秋の風が吹き雲で覆われた空の下、夏の朝顔が咲いている風景は少々奇妙に思えた。だが、朝顔はそんなことお構いなしに、まるで胸を張るように空に向かって咲いている。ちょっとずれたって構わない。自分が咲いた時が、自分に一番ふさわしい季節なんだ。そう言っているようだった。見れば、蔓にはこれから咲こうとしている蕾がじっと時を待っている。かみさまはその朝顔にちょっといじわるをした。だが、朝顔は与えられた時の中で最高の花を咲かせようとしている。与えられた時がちょっと厳しいものであっても、へこたれるな。そう言われたような気がした。ちょっと遅れてもできる限りの花を咲かせれば、季節も時を少しだけ戻してくれるかもしれない。今日のように。

  2004.09.08

  コメント(2)

• あの冬の日

  次の日は朝から出張が入っていて６時には起きなければいけないのに、テレビから目が離せない。津波は心配だが大きな災害は起きていないと分かってはいるのだが、だめだった。関西で大きな地震が起こった。それに関するニュースをずっと伝えている。これも一種のトラウマというのだろうか。1995年１月17日。京都で学生生活を送っていた僕は、いつものように夜遅くまで起きていて、眠りについてのは真夜中過ぎだった。17日はなにも予定はなかったので、目覚ましを仕掛けることもなく、起きるのは昼に近い朝か、朝に近い昼になるんだろうな、と思っていた。だが、まだ暗い時分、突然の揺れで目を覚ました。京都は滅多に地震はなく、眠りを覚ますような揺れも初めてだった。ああ、今のはちょっと大きかったな。寝ぼけてぼんやりした頭で、そんなことを考えていた。とりあえず時間を確かめようと時計に手を伸ばそうとした時……、さっきまでとは比べものにならないくらい大きな揺れが起こった。本棚から本が落ちる音が、真っ暗な部屋の中で大きく響く。揺れはすぐに治まった。僕はとりあえず情報を確認しようと手探りでテレビのリモコンを取ると、慌ててテレビをつけた。が、テレビは暗いままだ。「今、機械のトラブルで映像が流れなくなっています」突然の事態に狼狽した女性アナウンサーの声だけが響く。NHKにチャンネルを変えると今度は映像が流れ、部屋の中をぼんやり照らした。「ただ今、関西地方で大きな地震がありました。各地の主な震度は……」アナウンサーの伝える各地の震度を聞き、神戸を中心に大きな地震が起こったこと、京都は震度５だったことが分かる。が、この時、僕はアナウンサーが告げる「神戸、震度７」の意味がよく分かっていなかった。とりあえず最低限の情報を確認すると、僕はテレビの明かりを頼りに部屋の中を見回した。本棚を見ると、本棚に入り切らなくて不安定な形で積み上げた文庫本が数冊落ちただけだった。ぐるっと部屋を見回しても、他に変わったことはない。安心すると、またテレビに視線を戻す。テレビは５時46分に関西に地震が起こったことと各地の震度を繰り返し伝えているが、それがどれくらいの被害を引き起こしているのか、イマイチよく分からなかった。結局、とりあえず大丈夫だろうと思った僕は、１時間ほどでテレビを消すと再び眠ることにした。脳天気といえるくらい、僕は今何が起こっているのか分かっていなかった。昼頃目を覚ましテレビをつけると、テレビにはまるで空襲を受けた後のような、建物が跡形もなく崩れてあらゆる所で火の手が上がった神戸の町並みが映っていた。僕は愕然とし、とりあえず大丈夫だろうと思った自分を罵倒した。神戸には友人が住んでいるし、神戸周辺の街に住んでいる知り合いもいる。僕はテレビを食い入るように見ながら手帳を取り出すと、神戸にいる友人たちに片っ端から電話をかけた。だが、「回線が混み合っています」という声が聞こえるだけで、誰１人通じない。携帯電話も電子メールもまだそれほど普及していない頃だ。電話が通じなければ、連絡を取ることも伝言を残すこともできない。僕は電話を諦めると、テレビに戻った。神戸やその周辺の惨状を見続け、死亡を確認された人々の名前が出ると、僕は知り合いの名前を探した。夜、大阪に住む友人から電話があり、彼女も全く連絡が取れていないことを知る。消沈した声から、生まれてからずっと身近に思っていて、おしゃれな街と憧れていた神戸がアンナ被害を受けたことに、僕が推し量ることのできないショックを受けているのを感じた。神戸に住む友人の１人と連絡が取れたのは、地震の３日後のことだった。僕が話しかけると、彼は疲れ切った声で言葉少なに返事を返すだけで、僕は彼の声を聞いていられなくなり、早々に電話を切った。その後も何人かの友人と電話が通じたり、他の友人から無事であることを伝え聞くことができ、幸いなことに僕の知っている人は全員無事だったことが確認できた。だが、何千という人があの地震で命を喪った事実は、僕の中に重く残っている。もうすぐあの地震から10年が経つ。地震の後の頭に、まだ一度も足を踏み入れていない。

  2004.09.06

  コメント(0)

• 朝の電話

  多分、夏休みに入って最初の週末のこと。気持ちよく惰眠をむさぼっていたのに、いきなりかかってきた電話に叩き起こされた。「ゆき先生？　○○ですけど……」教え子からの電話だった。「あのさぁ、国会議事堂って一番高かった？」「はぁ？」いきなり訳の分からないことを聞いてくる。要領の悪い説明と寝ぼけて理解力のない頭のせいで、伝言ゲームのような会話が続いたが、結局こういうことだった。彼らは高校生クイズに出ていて、その第一問が1936年に国会議事堂が完成した時、国会議事堂は日本一高い建物だった。○か×かというものだそうで、僕に答えを聞こうと電話をかけてきたらしい。さて、僕は古そうで高そうな建物を頭に思い浮かべていった。戦前で高いものと言ったら浅草十二階だが、あれは確か関東大震災で壊れたはず。藤森照信氏の建築探偵シリーズに載っていた建物でも、そんなに高そうなのはなかった……。「○じゃないか？」「えっ、本当っスか？」「いや、分からんけど、多分○だよ」彼ははっきり言って欲しいみたいだが、僕は何も見ずに応えているので、断言のしようがない。僕の部屋には日本古代史の資料はある程度揃っているが、近現代、まして建築関係の本はほとんどなかった。彼はとりあえず先生のいうことを信じてみると言い、電話は唐突に切れた。僕は受話器を置くと、中断された時間を取り戻すようにベッドに横になる。高校生クイズで、第一問の答えを求めて出場者が電話をかけるシーンは目にしたが、まさかその電話が自分の所にかかってくるとは思っても見なかった。ある意味貴重な体験だったのかも。そう思いながら、眠りについた。で、後日。僕は新聞のテレビ欄をチェックし、高校生クイズの地区大会の放送を見ていた。ひょっとしたら、アイツらが電話をかけるシーンがテレビに出るかもしれないし、もしかしたら僕の声が流れたりテロップで「電話の相手：ゆき先生」なんて出るかもしれないと思いながら。……全く出なかった（笑）そして第１問の正解発表。1936年当時の高層建築ベスト５が発表されていく。それを聞きながら、僕は一つ勘違いしていたことに気付いた。僕は「近代建築の中で国会議事堂が一番高い」という問題だと勘違いしていたのだが、実際は「日本にあった建築物の中で一番高いのは国会議事堂か」という問題だったのだ。ベスト５では大阪城などが出ていたが、もしあの時大阪城が頭に浮かんでいたら「×」と答えていたかもしれない。正解は「○」とりあえずデタラメを教えなかったことにほっとした。２学期になって彼のクラスでの最初の授業で、彼にどうだったか聞いてみた。「２問目で落ちた～」数年前の夏の思い出。

  2004.09.03

  コメント(0)

• 夏の終わり

  夏休み最期の日は、夏の暑さと眩しい光が少しだけ戻ってきた。じっとまとわりつく暑さは、まるで夏休みが終ってしまうことにいやだいやだと駄々をこねているようであり、目の前の風景をくっきりと見せている光は、夏はいいでしょ、もう少し楽しもうよと誘っているようだ。昼食後、そのまま戻るのが勿体ないような気がして、近くの神社に足を向けた。木陰のベンチに腰掛けて、ペットボトルのジャスミンティーを一口。時折通りかかる車の音と蝉の声しか聞こえない世界で、最期の夏休み気分を味わう。頭上の葉の間からは、木漏れ日と共にミンミンゼミの大合唱が降ってくる。ヒグラシとツクツクボウシに負けじとばかりに、自分たちの季節だと言うように、夏の光に応えている。まだまだ暑い日はあるかもしれない。だが、僕にとっての夏は今日で終わる。来年の夏はどんな気持ちで迎え、どんなことを考えるんだろうか。今年と同じようで、新しい表情を見せる夏を。次の夏までの時間は、短いようで長い。それに、その前に迎えなければならない季節がある。ペットボトルのフタをぎゅっと締め、僕は勢いをつけて立ち上がる。次の季節を迎えるためには、まだやらなければいけないことがあった。

  2004.08.31

  コメント(0)

• 積み重なる時間

  この前まではエアコンをつけていたのでピッタリ閉じられた磨りガラスの窓が一週間ほど前から大きく開けられるようになり、そして今夜はその窓の開きは半分ほど。月の満ち欠けが日々の移ろいを伝えるように、開かれた窓から見える空の満ち欠けは夏から秋への時の移ろいを伝える。資料探しという名目で、図書室へ休憩しに行く。一応200番台のコーナーで使えそうな本を見繕い、次に何か面白そうな本はないかと、900番台のコーナーへ移る。図書室の棚に並ぶ本は、高校によって、または司書の熱意によって、その様相は大きく違う。公立校の場合は図書の購入費もそれほど多いわけではないから、新刊の購入はそれほど多くない。少ない予算でどんな本を購入するか生徒や教職員の希望を聞き、司書がそれを吟味して書棚に並ぶ本が決定する。多くの人が希望する本を優先して購入するので、本棚に並ぶ本の多くは、その時のベストセラーだったり、セット販売されている叢書が多く並ぶ。この学校もそうだった。書棚には芥川賞や直木賞の受賞作が多く並び、その横にはかつて多くの人が手に取り、今はブックオフでまとめ売りされているようなベストセラーがくすんだ姿で佇んでいる。更にその横には、確か上下巻で発売された本が、上巻だけ置いてある。下巻は紛失したのか購入しなかったのか。その上巻は、相棒を見失ったみたいで、本棚の中で戸惑っているみたいだ。プライベートの本棚が、その人の読書や関心の時間が積み重なったものであるように、僕の目の前に聳えるのは、この学校の生徒の読書や関心の時間の地層だ。そこには場所こそ違え、僕が高校生だった頃の時間も積み重なっている。僕はその地層から、高校時代に眠るのも忘れて読んだ本を取り出す。席についてその本を開くと、そこに眠る翻訳家を目指す若者の日々と、あの頃の思い出がゆっくり紐解かれていく。

  2004.08.28

  コメント(0)

• 驟雨

  フロントグラス越しに見える空は雲が立ちこめていて、一足早く夜が訪れようとしていた。僕は家路を走りながら、そういえば今年は夕立があったかな、と思い返していた。今年の８月は雨は降ったけれど、どこまでも続くような暑さを一時忘れさせてくれて涼風を運んでくれる雨は覚えがなかった。だとすると、今にも泣き出しそうな夕空が、今頃になって今年最初に目にする夕立を連れてくるのだろうか。夕立は、見る人の心に様々な心象風景を描く。暗く沈む心を映してその雨の中に傘も差さず佇む自分を思い描くこともあれば、じっと雨の音に耳を澄まして雨が上がり虹が空に架かるののを微笑みとともに待つ自分を思い描くこともある。この空が泣き出した時、僕はどんな風景の中に立っているんだろうか。驟雨の中　顔を上げて歩みは止めず

  2004.08.27

  コメント(2)

• 机上の星

  そのファミレスはレトロな調度の中に落ち着いた空気が流れていて、また住宅街から少し離れたところにあるせいか食事時を外せばそれほど客の入りもよくなく静かなので、ゆっくり考え事をしたい時はよく利用している。窓際に案内されて席に着き、僕はちょっと顔をしかめた。天井に取り付けられた空調が直接当たる席だったからだ。当たるといっても外の気温に会わせたのか、冷房はそれほどきつくもなく、そよ風がシャツから顔を出した二の腕に当たる程度なのだが、同じ調子で延々吹き付けるそよ風は不自然で、余計気になってしまった。そんな席だけど光琳の燕子花図の複製がよく見える、そう思って多少のことは我慢する。ポットのミルクティーを頼んでマルボロに火を点ける。最初の一服をゆっくり吐き出しながら、まずは夕べから考えていた修正点について頭を巡らす。思いついた点を備え付けのアンケート用紙の裏に書き出し、煙草をくわえる。そんなことを延々繰り返していた。２杯目の紅茶を飲み干し、店内に流れる音楽がモーツァルトのピアノソナタからヨハン・シュトラウスのワルツに変わった頃、ふっとメモから視線をあげると、黒塗りのテーブルの上に白い点が広がっていた。その点は、空調からの風で灰皿から舞い上がった煙草の灰だった。大きさの微妙に異なる灰が、テーブルの夜空に星々のように散っている。そこに広がる夜空は、僕の見たことのない星の並びを見せていた。きっと、この地上のどこからも見えない星空だろう。でも、どこかの星で見上げれば、こんな夜空が広がっているのかも知れない。その星から地球は、太陽は、銀河系は見えるのだろうか。「失礼します」いつの間にか、僕の傍にウェイトレスが立っていた。彼女はテーブルの上に身を乗り出すようにして屈み込むと、テーブルの奥に添えられたレトロなアルコールランプに火を灯した。ランプがオレンジに輝き、このテーブルを照らす。その灯りの中に星々は消え、テーブルの夜は朝を迎えた。

  2004.08.26

  コメント(0)

• 蝉の眠り

  ふと足元を見ると、蝉がアスファルトの上でもがいていた。お腹を上に見せて、何かを掴もうとするように足を必死に動かし、羽を震わせている。羽と地面がこすれ合ってジジジッと音をたててはいるが、ひっくり返るだけの力はなくアスファルトの上をゆったりしたブレイクダンスのように回っているだけだ。僕は屈むと、親指と人差し指で蝉をひょいっとつまんだ。蝉は逃れるように体を震わせたが、すぐに大人しくなった。まるで自分の最期を悟ったような、為すべきことを全て終えて死を大人しく待つような静けさが、僕の掌に広がる。僕は蝉をしばらく見つめると、街路樹に近づいていった。その木の幹に掌の蝉を止まらせる。蝉はしばらく掴まってはいたが、足の力が弱っているのか、しばらくしてポトリと地面に落ちた。僕はもう一度蝉をつまむと、今度は横に張り出した枝の上に蝉を乗せる。今度は、落ちることなく気に止まっていられるだろう。力が残っていれば、樹液を飲むこともできる。僕は蝉が枝の上で安定していることを確認すると、その木を離れた。今度あの蝉が落ちる時は眠りにつく時だろう。木の下は人工的なアスファルトではなく、土の上。土の中で育ち羽ばたいた蝉だから、眠った後は土に還るのがふさわしい気がした。ふと、昔読んだマンガの１ページが頭をよぎる。あれもちょうど今頃、老カブトムシが眠りにつこうとする場面だった。　　こどもたち　　わしは　　きみたちの　　わし以上の幸運を　　祈らない　　わし以上の不運を　　祈らない　　ただきみたちが　　ここにきたとき　　今より　　ほんの少し　　樹液が美味くなり　　今より　　ほんのすこし　　空が青くなっていることを　　わしは　　祈っているよ　　　　　　──　猫十字社『小さなお茶会』（2000　白泉社文庫）より　──あの蝉もこんなことを枝の上で思っているのだろうか。蝉の命は一週間。夏の盛りにも眠りにつく蝉は多いはずなのに、大地でもがいている蝉を見るのは夏の終わりが多い。見上げると夏の雲はいつの間にか消えていて、蝉も空から消えようとしている。夏空は遠くに　わたしはここに

  2004.08.25

  コメント(0)

• 今宵、モノクロームのバーで

  夜から始まった秋が太陽の下でも気配を滲ませ始める。そういえば、夜明けと共に鳴き出したヒグラシの声もいつしか聞こえなく立った。酒は好きなのだが、実は非常に弱い。大抵２～３杯で心地いい酔いが体中に回り、すぐに眠くなってしまう。その場で寝てしまうこともしょっちゅうだし、帰りの電車の中で眠ってしまい、そのまま乗り過ごすこともあった。知人には「すぐに酔うことができて、酔っても他の人に迷惑をかけないんだから、いい飲み方だよね」と言われるが、本人はあまりいいとは思わない。そんな人間だから、量を飲んで騒ぐような居酒屋での飲み会は苦手で、酒類の豊富なバーで語らいながら飲む方が好きだ。バーには時々１人で出かける。１人だから酔った後に連れから介抱されることも期待できないので、飲むのは１杯か２杯。カクテル（大抵はジントニック）を飲んでからスコッチのロックをもらう。弱いくせにバーに通うようになったのは、ある本の影響だった。成田一徹『一徹の酒場だより』（1993　あまから手帖社）偶然手にしたこの本に載っている切り絵で描かれたモノクロームのバーのに魅せられたからだ。切り取られた空間からは穏やかに流れる時間の温もりが溢れ、子供と呼ばれたくはないが大人にもなりきれていない僕（これは今も変わらないのかも知れない）は、この遠い憧れの空間に足を踏み入れてみたいと思うようになったのだ。この伝説の名バーテンダー古川緑郎さんをモデルにした一枚は、ちょっとぼやけているから、凛とした雰囲気が伝わりにくいかも知れない。あの場所に自分も入り込みたい、あの場が似合う人になりたい。だが、そんな人になりきれていない僕は、バーの扉に手をかける時、いつもちょっとだけ緊張する。＜追伸＞古川緑郎さんについては、こんな本も出ています。バーが好きな人はぜひご一読を。伊藤精介『銀座名バーテンダー物語』（1999　中公文庫）（この本楽天ブックスでは品切れになっていますが、アマゾンには在庫があるようです）

  2004.08.21

  コメント(0)

• 眩しく揺れる

  真昼の太陽に照らされた校門を生徒たちが駆け抜けていく。部活が昼休みに入った子はしばしの涼を求めて、午前中で帰る子は自宅や待ち合わせ場所を目指して足を進める。誰もが暑いという言葉をはやり言葉のように口にするが、彼らの顔にはこの暑さをどこかで楽しんでいるような表情が見える。あれが若さというものなんだろうな、と思い、多分僕はあんな顔はしていないんだろう、暑さに疲れ切った顔をしているんだろうな、と思った。校門を出てからいつもの喫茶店を足を向ける。あの喫茶店に向かうにはいくつかルートがあるが、こんな日は川べりの道を歩きたくなる。河川敷に作られた遊歩道は日差しを遮るものは何もないが、川面から吹いてくる風が火照った体に心地よい。広い川面とその先に見える濃い緑で彩られた山の稜線が、夏の光にその輪郭をはっきりと浮かび上がらせていた。ふと、僕の前を歩く二人の高校生に気付いた。制服を見て、ウチの昼間の生徒だと分かる。二人は河川敷の道を手を繋いで歩いていた。繋いだ手がゆらゆらと揺れ、まるで二人の気持ちを代弁しているみたいだ。そんな二人を眺めながら、僕は小声で「なつーよー　ことしーもー　わかいむすめたちーーにーー」と昔歌った歌を口ずさんでいた。陽炎に　繋ぐ手揺れる　夏の道

  2004.08.20

  コメント(0)

• 

  夜のハイキング　　　甲子園

  ヒグラシの名は「日暮れ惜しみ」に由来すると言うが、ヒグラシは夜空が白み始める時にも鳴き始め、夏の一日が始まることを告げる。その夜明けのヒグラシの声が、日に日に弱くなっていく。夏の気配が朝からも消え始めている。昨日の続き２次会のカラオケが終わったところで、昔の同僚との飲み会は解散となった。ほろ酔いかげんで帰りの電車に乗り込む。途中からは座ることができたが、酔いが回っているので本を読む気にはならず、MP3プレイヤーで音楽を聴きながらぼーっと窓の外を眺めていた。街路灯や家々の明かりが現れては消えていく。後一駅で（僕が下りる駅に）着くな。そんなことを思ったところで……突然意識が途切れた。どれくらい眠ったのだろう。ほんの一瞬だったような気もするし、ずいぶん長く眠ったような気もする。窓の外に目を遣ると、黒々とした風景が流れている。かすかな輪郭線しか見えないのだが、見慣れぬ風景であることは何となく分かった。腕時計に目を遣ると、電車が僕の降りる駅に着く時刻から十分ほど過ぎている。あまり寝ていなかったことにほっとして、僕は再び窓の外に目を戻した。やがて電車はゆっくりと止まり、僕は何も考えることなく電車を降りた。電車が遠ざかっていく音を聞きながら、僕は下りたことを後悔し始めていた。山の中の無人駅。周りを黒々とした木々に囲まれ、人の明かりは全く見えない。駅舎に掲げられた時刻表を見るが、上り電車は既に終わっていた。その隣の路線図によると僕の最寄り駅から３駅しか離れていないのに、ずいぶん遠くまで来たような気さえしてきた。さて、どうするか。迷ったが、結局ここから歩いて帰ることにする。線路に沿ってしばらく道が続いているから、登りの方向に歩きながら大きな道を目指す。幹線道路に出ることができれば、道路標識を頼りに歩けるし、コンビニでも見つかればそこで道を聞けばいい。全ての道はローマに続くと言うが、ローマに着く前には我が家にたどり着くだろう。体中に回った酔いが、楽観的な考え方を招いていた。線路沿いの道を進むが、道はすぐに線路を離れ、山の中に分け入っていった。街路灯が、道に覆い被さるように繁る木々を浮かび上がらせる。 昔話だったら山の中にポツンと立つ一軒家や美しい女に出会うのだろうが、幽霊も狸も出てこない。子供だったら怖がるであろう夜の道も、酔った頭では物珍しい風景に見え、まるでハイキングでもしているような気さえしてきた。山道は１時間ほどで終わり、ちょっと大きな道に出る。道路脇に立てられた街灯以外に明かりはなく、頭上に満天の星空が広がっている。僕は自分がどこにいるのか、自分が進んでいる方向が正しいのかという、切実な課題も忘れて星空を眺めた。この辺りになると時々車が僕の横を通りすぎる。ヒッチハイクでもしようかと思ったが、こんな時間にこんな寂しい道で車を止めてくれる物好きもいないだろう。時々車が通るということは街を繋ぐ道路を歩いているんだろうと見当をつけ、そのまま歩き続ける。酔いは相変わらず心地よく回っていて、どこまで歩いても疲れないような気さえしていた。やがて方面と方向の書かれた道路標識に出会い、どうやら正しい方向に歩いていることが分かった。そのまま歩き続けて峠を二つほど越えると、見覚えのある建物を見つける。午前二時を回った頃我が家にたどり着き、ハイキングは終了。シャワーを浴びて汗を流すと、僕はそおままベッドに倒れ込んだ。＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊「甲子園」昨日、我が母校が甲子園に登場した。母校とはいえ卒業してかなり経つから関心も薄らいでいたのだが、当日は放送開始からテレビにかじりつき、更にはビデオまでセットしていた。母校の校歌が流れると、小声で口ずさみ、目には涙も浮かんだ。帰属意識の薄い人間のせいか、校歌のような帰属意識を植え付けるようなものはあまり好きではないのだが、この時だけは不思議と一緒に歌いたいという思いが強かった。それは、見知らぬ土地で道に迷っている時に、ふいに懐かしい歌を聴いた時の気持ちに近いのかも知れない。結局試合は負けてしまったが、随所に光るプレーがあった。ファインプレーあり、三振あり、棟がスカッとするような長打あり。どうか、胸を張って帰って欲しい。そして、土産話をみんなに聞かせてあげてほしい。元気な笑顔は、みんなに幸せを届けるのだから。

  2004.08.14

  コメント(0)

• 

  サンダウナー ── 黄昏時の一杯 ──

  前に勤務していた高校の飲み会に呼ばれた。久し振りに見る街は、離れてからまだ半年も経ってないのに、ずいぶん変わってしまったように見えてくるのが少し不思議だった。路地を歩いて、前の学校にいた時はよく通ったダイニングバーに入ると、懐かしい顔と初めて見る顔が僕を笑顔で迎えてくれる。お酒は好きだけどあまり強くない人と下戸ばかりが揃っていた前の学校の社会科教諭連中にとって、お酒の種類が豊富で料理も美味しいこの店は、飲み会を開くのに打って付けだった。全員が揃ったところで、まずはジントニックで乾杯。焙られるような暑さの中を歩いてきたので、爽やかなジントニックがのどに心地いい。その後は好みの料理と好みの飲み物で、好みの話題を語り合う。定時制の現状、僕が出た後の学校の様子、卒業生の近況、ここにはいない先生のうわさ話、etc.etc.かなり下世話な話も出たけれど、決して酒と料理をまずくするような話しはしない。「天気と健康の話」だけではなかったが、「政治と宗教の話」は、御法度。この日はカクテルを中心に飲んだのだが、その中の一杯がこれ。 XYZにレモンハートデメララをフロートさせたもの。以前、ある人の日記で知って、ずっと飲みたいと思った一杯だった。一口飲むと、柑橘類を囓った時のような酸味のきいた涼しさが広がる。焦がれていた一杯が、思いもかけぬうまさを秘めた一杯だった。ただ、XYZを飲むのも今日が初めてだったので、レモンハートデメララのフロートでどう変わったのかは分からなかった。今度来た時は飲み比べでもしてみよう。窓の外を見ると、いつの間にか日は沈み、夜の静寂の中で華やいだ声が路地から聞こえてくる。さて、次は何を飲もうか。僕はテーブルの隅に置かれたドリンクメニューを手に取った。

  2004.08.13

  コメント(0)

• それでは八嶋君、説明を（笑）

  　　＊ご注意＊昨日の日記「フランス革命が……」を未読の方は、先にこちらをお読みください。フランス革命と言えば、1789年から99年にかけて起こった、封建的身分制度を崩壊させ、共和制という新しい体制をヨーロッパに作った革命である。フランス革命が起こった要因には様々さなものが数えられるが、その一つとして、小麦の大不作が続いたことが挙げられている。フランス革命が起こる数年前から、ヨーロッパでは気温の低下が続いていた。イギリスでは異様な輝きの太陽が観測され、フランスではセーヌ川の水が凍ったという記録も残っている。こうした異常気象のせいで作物はほとんど取れず、食糧不足から社会不安が増大していた。ちなみに、江戸時代の三大飢饉の一つと言われる天明の大飢饉が起こったのも、ちょうど同じ頃である。さて、こうした異常気象が起こった原因を調べていくと、一つの自然災害が浮かび上がってくる。1783年の浅間山の大噴火である。1783年7月、その少し前から小規模の噴火を起こしていた浅間山は、7日の深夜、ついに大爆発を起こす。浅間山を中心とした半径64キロの範囲を溶岩流が直撃し、麓の鎌原村を火砕流に沈めたのを始め、この被害による死者だけで約2000人。更に溶岩流は鉄砲水を引き起こし、周辺の村落を流出させた。一説によれば、流失家屋1151軒、流死人1624人。流された死体の中には、利根川と江戸川を流れ、江戸にまでたどり着いたものもあったと言う。噴火の被害は、火砕流のみではなかった。噴石が100キロ先に降ってきたり、火山灰は関東一円に降り積もり、江戸でも一寸（約3センチ）の積灰が記録されている。噴火が起こってしばらくは、昼間なのに夜のように暗かったらしい。農作物も壊滅的な被害を受け、天明の大飢饉へと繋がっていく。この時吹き上げられた火山灰は成層圏を漂い、地球を覆い尽くした。成層圏に飛んだ火山灰は、10年は漂い続けるという。この火山灰で太陽光線がカットされ、地球規模での気温の低下が起こったと考えられる。以上のことを整理すると、浅間山の噴火　→　世界規模の異常気象　→　フランスでの凶作　→　社会不安が広がる　→　フランス革命という流れが見えてくるのだ。もっとも、フランス革命の要因は他のものに求めるのが正しいと思う。啓蒙思想の広がりとか、アメリカ独立戦争の影響とか、フランス財政の悪化とか。大学で西洋史を勉強した人にこんなことを言うと、怒られるか呆れられるかもしれない。友人曰く「正確には間違いかもしれないけど、面白いからいいでしょ」僕も友人も歴史を教えるときは、まず生徒に興味を持ってもらうことから始めている。その際には、こうしたエピソードは有効だ。コーラは体に良くないが、夏の暑い日に友人と飲むと格別の味がする。この話も、授業におけるコーラみたいなものだと思う。こんなのばかり飲んでいると体に良くないが、サプリメントばかり食べていては、食事に対する嫌気が差してくるだろう。純粋培養で、こっちがいいと思うものばかり食べさせるより、いろんなものを食べさせて雑食性を身につけさせた方が、本人のためになる。なにより、食事の楽しみを知っていれば、そのうち自分の体にあったもの、健康にいい物を選んで食べるようになるものだ。……なんて言い訳も最後にしておこうか（笑）＊この日記は記憶を頼りに書いたので、間違いも多々あるかもしれません。間違いは見つけ次第修正しますが、気付かれた方は、ご一報ください。

  2004.07.14

  コメント(4)

• フランス革命が……

  一月ほど前の話。「なぁ、世界史のトリビアで何かいいのないか？」ホームで電車待ちをしているとき、大学時代の友人から電話が入る。彼もまた別の県で教師をしている。４月から新しい高校に移ったのだが、その日、新聞部から取材を受けたらしい。新任教師紹介の記事だそうだが、その取材の中で、「世界史のトリビアを一つ教えてください」と聞かれたそうだ（彼は主に世界史を担当している）。「世界史を勉強していない生徒も多いから、あんまりマイナーなネタだと、『へぇ』って言ってもらえないと思うんだよ。誰もが知っているテーマで、思わず『へぇ』って言ってもらえるネタないかな」彼は、まるでお偉いさん相手に公開授業をするときのアドバイスでも求めてくるような真剣な声で聞いてくる。彼が授業で教えている生徒はともかく、それ以外の生徒は、彼の紹介記事を見て、彼の印象が決まるのだ。その生徒に好印象を与えようと、彼は脳みそを絞っているのだろう。「うーん、エジプトのピラミッドには『最近の若い者は……』という落書きがあるは、けっこう有名だよな……」「ベートーベンは海を見たことがないのに海をテーマにした作品を作曲した、はクラシックファン以外にはなんとも思わないだろうし……」「モーツァルトはスカトロ好きっていうのも、けっこう有名だしな……」それ以外にも「300年前のロシアには、日本語の専門学校があった」とか、「ビザンツ帝国の王妃は、美人コンテストで選ばれた」なんても出たが、どれもイマイチのような気がしてくる。30分ほど、お互いネタを出し合ったが、結局これというものが出ず、なんか思いついたら電話することになった。翌日、彼から『これにした』というサブジェクトのメールが届いた。彼が披露した世界史のトリビアは……、フランス革命が起こったのは……浅間山が噴火したから。＊この話は明日に続きます。

  2004.07.13

  コメント(3)

全80件 (80件中 51-80件目)

< 1 2