移り香
生徒たちのざわめきに乗って、先生方が職員室に戻ってくる。先生方の顔には、授業とはちがった疲労が浮かんでいる。ただ座っているだけとはいえ、定時制の試験監督は授業よりも神経を使う。最後に戻ってきた先生が、僕に紙袋を渡してくれた。僕が担当する教科の試験が、さっき終わったのだ。さっさと採点を済ませようと思い、僕は新しいコーヒーを淹れると、紙袋から答案を取り出した。定時制の試験の採点は、ひどく簡単だ。全日制のテストなら1クラス採点するのに2時間はかかるが、定時制なら30分でお釣りが来る。まず、1クラスの生徒数も少ない。だいたい全日制の半分から3分の2ぐらいだ。そして試験自体が簡単なので問題数が少なうえ、その少ない問題全部に答える生徒もほとんどいないからだ。選択問題なのに答えを書く欄が空欄になっているのは、もう見慣れた。答案に○や×をつけ、最後に点数を書いたら、1枚捲って次の答案を出す。そんなことを繰り返して、何枚目かの答案を捲った時、ふわんと嗅ぎ慣れない香りが鼻の奥に漂ってきた。職員室、いや、学校そのものにそぐわない香り。香水の香りだった。鼻を動かして香りの出所を探ると、僕が今開いた答案から漂ってきていた。鼻を近づけると、柑橘系の香りが一層強くなる。一体誰だと答案の名前を見ると、いつもコギャル風の服装をしている女子の答案だった。答案から漂う香りを感じながら、さっき試験中の教室を覗いた時に見た、焦った顔で必死に答案を埋めようとしている彼女の姿を思い出していた。中間試験も悪かったから、期末は頑張らないと赤点になるから必死だったんだろう。でも、答案の出来は良くないし、そんな状況なのに派手な格好で、化粧もばっちり決めて香水もふんだんに吹きかけて来ていたけど、こんなに香水の香りが答案に染みつくほど、答案の上で腕を動かしていたんだろう。彼女なりの頑張りの染みこんだ答案をもう一度見つめてから、採点を始めた。シビアに。