見えない配達夫
たとえば校門横の花壇の花々や、たとえば夜の帳に包まれた叢の中の声や、たとえば湯宇連野中に浮かんでいる細く薄い雲にしか見えなかった秋がいつの間にか街全体を包んでいることに気付いたときのように、季節の移ろいを目にすると、ふと、この詩が頭の中をよぎっていく。 三月 桃の花はひらき 五月 藤の花々はいっせいに乱れ 九月 葡萄の棚に葡萄は重く 十一月 青い蜜柑は熟れはじめる 地の下には少しまぬけな配達夫がいて 帽子をあみだにペダルをふんでいるのだろう かれらは伝える 根から根へ 逝きやすい季節のこころを 世界中の桃の木に 世界中のレモンの木に すべての植物たちのもとに どっさりの手紙 どっさりの指令 かれらもまごつく とりわけ春と秋には えんどうの花の咲くときや どんぐりの実の落ちるときが 北と南で少しずつずれたりするのも きっとそのせいにちがいない 秋のしだいに深まってゆく朝 いちぢくをもいでいると 古参の配達夫に叱られている へまなアルバイト達の気配があった 茨木のり子「見えない配達夫」より