先週に読み終えているのですが、実は、時間をおいてしまうと、なかなか、書きにくいものがあります。
先が見えないわくわく感や、目前のできごとに対するツッコミが、間をおくことで、褪めてしまうようです。ちょっと、掘り起こす感じです。ギコチないのが、リアルタイムでないことのうらみ。
まず、「旧友たちとの再会を勧める彼女の強引さ」には、さすがに引き気味。判断は間違っていないのだけれど、問題の根幹しか見ないスタイルは、脅威的。「自信家」の見本になるかも。
新宿駅のホームでツクルが時間をつぶすシーンに、なるほどグレイな心象が浮かんできました。雑踏のなかにあっても、触れもせず、砂でできた人物像のように、すべての音を吸い取っているような。
似たようなことを、新宿コマの近くでしたことがあります。12月の夜に2時間ほど、缶コーヒーを飲みながら、ただただ、行き交う人をぼんやり眺めて。 ブラスバンド隊が通りがかって、リクエストはないかと問われるまで、背景音と空気が、止まっていました。
ツクルが名古屋へ向かい、旧友を訪ねるシーンでは、「せやせや、どんどんいったれぇ」と、無邪気に応援。15年の長さがつくりだした妙な遠慮が、消えそうで消えないことに、いらいら。これがリアルですね。
5人組の活動の、淡々としているところに、違和感。目の前の子どもに気持ちが向いているのが、ピアノの先生だけのよう。子供たちの個性は、思い出の中でも、再開の際にも、浮かんでこない。目的よりも、実行がすべてのボランティアだったのだろうか。ツクルの個の感情であって、他の4人は違っていたのだろうか。
完成されたチームという存在について、ぼんやりとした心象が浮かぶが、形にならなかった。後日、真崎守の『共犯幻想』に思い当たる。
村上さんは、やっぱり、女性に好まれる作風ではないかと。
食べ物にたいして、あまり熱心でない主人公。毎回、メニューにこだわる彼女。男女の距離感が、ほどほど。 プールへ通ったり、アイロンを掛けたり、扱いやすい男子。
青山の道路で、「恋する女性」の表情をみせる彼女。
先月、とある食堂で、煙たそうなポーズをするボーイフレンドの目を見ながら、熱く「嵐」を語っている女子がいて、恋をすればゴッシップを語っても詩人、と。
読書の際に引用できる参考画像が豊富なのは、重ねた年齢のおかげ。
「あれ、飛行機が下りちゃった。」 きっと、記憶の彼方の『ノルウェーの森』からの残像かな。30年物です。
タモリ氏の云うところの「オッパイ星人」、村上さんもきっとそう。迫真の描写。
「色彩のない」とはいうものの、無彩色・有彩色の考えに沿うなら、シロとクロも通常の色ではないはず。 あ、今はじめて、「黒子のバスケ」を連想してしまった。
大学のとき、別のクラスで、「ひとりぼっちの会」という企画がもちあがったというウワサを聴いたことがある。同じ高校の先輩が歓迎会を開いてくれない少数派を集めて呑もうという発案。あっさり、没だったはず。
なにかの、同属意識をまとめようとするのは、15~20歳くらいの共通の病なのこもしれない。自分のポジションを補うために。
「佐山」「田山」「森山」「栗山」「東山」の山チームとか、「助川」「田川」「森川」「美川」「西川」の川チームとか。こういうレベルだったら、ただの偶然だったのに。 ツクルは、存在しない色の魔力を感じたのだろうか。 何も証拠を残さなかっただけで、それは実際、存在していたのか。
いくつかの、自分に都合のよいボキャブラリーと、もっと早くに読んどけばよかったという後悔をのこして、読了しました。再読は必要だけど、いそぐところではありません。
ただの思い付きですが、人間の個性として、「北へ向かってゆく人」と「南へ向かってゆく人」というのが、あるのでは。 そして3番目に、「動きたくない」という自分のような無精な個性も。
さて、春樹さんの本を読むのは2件め。『ノルウェーの森』からなので、間が30年くらいあいています。
どちらの小説でも、不思議と違和感を感じない主人公で、自分の経験とも重なる経歴をもっています。
最大公約数の最大の幸福。天網恢恢、、、。計算されたものなのでしょうか。それとも、世代的な共通の記憶なのでしょうか。
つくるは「駅舎をつくること」に興味をもち実現したけれど、
自分は「公園をつくること」に興味を持ち、挫折しました。
つづく
最後に、「ペ」 ) 名古屋のセレブ家庭の女子は、地元の大学で仏文をまなび、企業の受付で実績を積んで、玉の輿にのる、って。 春樹さんの勇気に、あたまがさがります。。。
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