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気づきのセッションルーム"La Vie"

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September 30, 2008
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私が某スクールで英会話を習っていた時 友人になったオーストラリア人がいる。

彼はとてもハンサムで好奇心の強いナイスガイであり、私のオリジナルの曲に詞を提供してくれたりしたのであるが
異常なほどに時間にルーズだった。。。

生活のための仕事には遅刻しないくせに 友人との約束や本当にやりたいことに関しては異常なほど遅刻した。

私も何回か被害にあったが 彼曰く「これは自分の最も悪いHabit(癖)なんだ…」

私はHabitってこういうふうに使うんだとよ~く学んだ(-_-;)

彼に関して「なんでこうなんだ???」と思ったことから私の探求は始まったといっても過言ではないくらい私にとって彼は不思議な存在だった。

彼が望んでいたことが ちょっと可能性が難しいと告げると
彼は「ああ! なんてことだ それがしたかったのに!!!」外人特有の大げさとも言えるほどのしぐさで天を仰いだものだが
その彼の瞳の中に実現しないことにホッとしている安堵感が必ずあった。

とてもそれを望んでいるくせに 実現してほしくない

まさに幸福の否定をそのまま生きていたといっても過言ではない。

オーストラリア人はおおざっぱな人が多いけれど自分は特別おおざっぱだと自慢げに語っていた。

今、どうしているだろう?

今でも「ちゃんと結婚とかできたかしら?」とか「仕事をちゃんとやっているかしら?」とか時々心配になる。。。


私は思う。
平和な世の中が続き、物質的に豊かになったおかげで 自分の精神的な生きがいを探すという余裕がでてきた日本人。

現実に自分の天職や適職を求めるとき 明らかに自分が苦手なものや好きでないものをそのターゲットにする人はいないだろう。

そこそこ関心のあるものを選んでいると思うし、お金で換算できない幸せがあるということも頭ではよくわかっている。


でも、本当に自分の好きなことをしているという幸せな人もいるが、まだそれを見つけていない人もいっぱいいる。

何しろ 死の直前に「自分は夢が何だったかわからないが でも夢を生きてこなかったことだけはわかる」という悲しい言葉を残して逝く人が大勢いるのだから。。。


今、自分探しの真っただ中の方、本当に好きなものから 自分は逃げているのかもしれないと考えてみてはどうだろう?

先延ばしにしてきたものを見つけたら あえて最優先でやってみることは価値ある行為かもしれない。

その先延ばしの理由がたとえどんなに正当なものであったにしても
我々は本当に自分にとって大切で、それさえあれば何もいらないぐらいの幸福感を持たせてくれるものに対してこの習性を使って実にものすごく用意周到にエスケープを試みているのかもしれない。

しかもそのエスケープに対して エスケープするに値する十分な言い訳も用意しているのではないだろうか?


これがあったら もう本当に何もいらないのというくらいの幸せが目の前にあったら
そして 自分が手を伸ばせばそれを捕まえられるとわかっていても
私たちは手を伸ばす前に それから逃げ出してしまうのではないだろうか?


幸せの先延ばしをやっている自分に気づいたら ちょっとその先延ばしをストップして 今すぐに幸せを感じてみたらどうだろう?

私たちは「面倒くさいな」と思えるものにも「先延ばし」をする傾向があるが
やらなければいけないもの 或いはやったほうがいいものに関しては ちょっとフットワークを軽くしてみてはどうだろう?

やるべきことをやるとすっきりして気持ちがよい。

そう なかなかやれなかったクローゼットの掃除などもそうだ(^_^;)

もしかして それをやることで 何かが動くかもしれないのだから。。。

いや 確実に動く!

私も体験としてそれを知っている また、私以外にもそれを体験として知っている方も大勢いると思う。

専門家に言わせると、野球の天才であるイチロー選手は そのシステムを知っているとしか思えない練習をしていたそうである。
「練習中はやりたくないと思うことを徹底的にやった」とイチロー選手は言う。
「それが一番必要なトレーニングだと思えたので」とも言った
らしい。


職人というのはどういう状況であれ技術的にベストであることを要求されるし、自分でもそうありたいと思っているだろうし 実際そうなわけで 彼らもそれを実際にやれる自信があるわけだが、その完璧なまでの技を身体で覚えるためには ものすごく緻密なトレーニングが必要だったことと思う。

それが手に入って ようやく自他共に認めるプロフェッショナルになるわけだが。。。

プロフェッショナルになればいいというものではないが 本当に何かにこだわっていたらいつのまにかプロフェッショナルになってしまうのである。

「オタク」という響きはイメージとしてあまり良くないかもしれないが、でもオタクになることを怖がっていたら
私たちは本当の自己実現をする機会を逃してしまうのではないだろうか?

「オタク」になるほど打ち込めるものがあって なおかつこの現代社会とも上手く折り合っていける人が
本当の意味で幸せに生きたといえるのではないかと思う。

音楽の世界でいえば モーツアルトよりもシューベルトのほうが幸せだった。

なぜなら シューベルトは常に彼を必要とし彼自身もまた人を必要とすることのできる人間だったからだ。

天才性からいえばモーツアルトのほうが抜きんでていたかもしれないが 友人や家族に囲まれて音楽を生きられたシューベルトは彼が生まれた時代と折り合いながら精いっぱい自己表現し、なおかつ最後まで常に未来を夢見て生ききったのではないか。

彼のアヴェ・マリアを耳にする時 私はそんな思いでいつも胸いっぱいになる。





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Last updated  September 30, 2008 09:38:24 PM
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