お正月なのに・・・・
新年明けましておめでとうございます。昨年末は後半さぼってしまいましたが、今年はなるべく毎日書けるようにがんばります。元旦からこんな話題ですみません。本日 我が家のにゃんこが死にました。12月30日までは普通どおりでした。大晦日に少し様子がおかしくなったのです。家の中をうろうろしてどこか一人になれるところを探しているようでした。ご飯も食べないし、水も飲まない、大好きなシュークリームも食べようとしません。旦那は「ちょっとおかしい。」「危ないんじゃないの?」と繰り返してました。でも、何か変なもの(チョコ)でも食べて身体の調子がおかしいのだろうということにしました。茶色のおう吐物を見て推測した勝手な判断でした。死期が迫ってるなんて認めたくなかったのです。またしばらくしたらいつもどおり元気になると思いたかったのです。享年20歳でした。2月が誕生月(生まれた日を訊かなかったので、誕生日は不明です)なので21歳になったら、猫手(猫の手帖)の長寿番付に出そうかと話していた矢先の死でした。猫の20歳は人間で言うと96歳だそうです! 参照 猫の年齢これによると急にこの年まで生きてる猫の数が減るとあるから、寿命だったのかもしれませんね。思い起こすと去年の夏ごろからだんだんと食が細くなり、やせ細ってきました。測ってませんが3キロもなかったかもしれません。背骨がゴリゴリ出てて撫でると痛々しかったです。それでもまだ階段をの上がり降りもできたのですよ、30日は。ご飯にも気を遣って11歳以上用の缶詰を買ってました。本人は薄味(?)のせいか、気に入らないようでよく残してました。7歳用は割と好んで食べてましたが。眼もそんなに濁らず、歯もケンカで失った1本以外は無事、被毛は少し薄く細くなったけど、とても20歳には見えない猫でした。大島弓子さんの漫画にもありましたが、猫は本当に死ぬ瞬間を人に見せません。例年通り、我が家は出雲大社に初詣に行きました。本当は猫の様子が気になったので行くのを止めようかとも思いましたが、まさかこんなに早く逝ってしまうとは思わなかったのです。今から思うと一緒に居てやればよかったかもしれません。体温が下がったのか触ってみると身体が冷たかったのですから。それでも大晦日は旦那の布団に入って一緒に寝て、元日の朝には私の布団にも来てくれたので、そんなに容態が悪いとは思いませんでした。飼い主失格ですね。あれがお別れの挨拶だったのでしょうね。午後2時頃まで足元暖房用のカーペットにブランケットにくるんで寝かせて、ずっと手を握ってたら眠ったので、長男(受験生)に面倒をまかせて初詣に出雲まで行きました。呼吸が浅いのに気付きましたが、まさかこれが今生の別れになるとは思わなかったので、本当に薄情な飼い主です。恨んでるかもしれません。片道3時間の道のりで9時半に帰宅しました。途中夕方長男に電話するとあまり動かないけど寝てるとの返事が(^^;)この子はあまり猫好きじゃないので、私たちが見るようには注意深く観察できなかったのかもしれません。なんだかんだいっても彼一人にまかせて出てしまった時点で失敗でした。悔やんでみても手遅れですが。その報告にある程度覚悟はしましたが、私たちが帰るまでに死んだりはしないと希望を託して吹雪の中、車を走らせました。でも甘かったのですね。愛猫はあの世へ旅立ってしまってました。普通にいつものように横たわって寝ているのに・・・・身体は硬くなって動きません。もう二度とあのまん丸い目が開くことも者晴れたダミ声で鳴くことも寒くなって布団にもぐりこんでくることも無いのです。どんな気持ちで旅立ったのでしょう。私たちに看取られることなく独りで逝ってしまうなんて・・・・(長男いわく夕食を食べるため席を外した時にどうも死んだのではないかと)誰にもわからせず誰にも見せず誰も知らない間に独りで逝ってしまいました。寂しいです。猫の食器や缶詰を見る度、涙が止まりません。ブランケットに包まれて眼を閉じて横たわっているその姿は今にも もそもそ動いて起き出しそうです。何度も身体を撫でました。その毛の感触を忘れないように何度も謝りました。ごめんね、置いて出かけてしまって明日大好きなシュクリームと缶詰といつも使っていた食器を入れて梨の木の下に埋めてやろうと思います。一歳で交通事故で死んでしまったまめも一緒だから寂しくないよね。20年間一緒にいてくれてありがとう我が家へ来てくれてありがとう大好きなJAJAへ余談猫を長生きさせるにはよい水が欠かせないと思います。我が家の猫は井戸水を飲んでました。それとストレスの少ない生活ですね。全く100パーセントストレスフリーというのは無理なので、なるべくくストレスを与えないようにしてあげること。とはいえ愛情が一番大事です!老齢猫を飼っている皆様猫ちゃんを長生きさせてあげてくださいね。