新盆を終えて
新盆も何とか終わった。姑が健在の頃はお盆、お彼岸、お正月が大嫌いだった。姑にあれこれ指図されての準備が嫌だった。客が来れば姑が客の応対で私が裏方に専念。下手に客の前に出れば、あれこれ用事を言いつけられ、落ち着かなかった。夫の兄弟が来るのも嫌だった。嫁の私が忙しい思いと、義弟家族の気楽な生活を見せつけられ、義姉家族の優秀な子供達の自慢話をきかされるのが苦痛だった。姑が介護が必要になった頃から、その苦手意識がだんだん遠のいて行った。長男家族としての大変さを理解してくれてると感じるようになり、姑のお葬式には兄弟家族みんな協力的で、その後のお彼岸等も同様に。我が家に兄弟で集まっても、以前の姑を中心とした中での私の居心地の悪さはもう感じられなくなった。改めて思う。居場所がなくても我が子可愛さでここまで頑張れてよかったと思う。姑には 私自身の居心地の悪さを正直に話せなかったのは後悔している。夫の優柔不断さで何も解決してくれなかったのは腹が立つが、私自身がもっと自分の意見を言えればよかったと思う。夫の兄弟家族に対しての惨めな思い も今となっては、思い過ごしでしかない。我が家の子供達も自立できて、しっかりしている。夫も私も完璧な人間では到底ないが、やるべきことはやってきた。これでいいんだ。やるべきことをやっていれば結果は後からついてくるのだと、今年の新盆に終えて実感したことだった。