五山文学
五山文学(ござんぶんがく)は、鎌倉時代末期から室町時代にかけて禅宗寺院で行われた漢文学です。室町時代に入ると、幕府の外交文書を起草するという必要性から鎌倉五山(建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺)や京都五山(南禅寺、天竜寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺)では、四六文(駢儷体(べんれいたい):上四字・下六字で構成された句で、対句を用いて句調を整え、典故を多用した華麗な文)を用いた法語や漢詩を作る才が重視されたことも関係して、五山文学が栄えました。禅の法語をはじめ、詩文、日記、論説などで、代表的な詩文集に、義堂周信(臨済宗の僧:足利氏満の教育係)の『空華集』、絶海中津(明に渡海後、足利義満と対立)の『蕉堅稿』などがあります。また、漢文学の盛行に伴って、木版出版も起こった。五山文学こそは、五山文化の中心です。とりわけ、京都の天龍寺雲居庵や、臨川寺で、春屋妙葩(臨済宗相国寺の第二世:日明貿易の幕府側の外交顧問)らが盛んに出版活動を展開しました。これらの木版印刷を五山版と呼び大多数は、日本に伝わった宋版や元版を覆刻したものであり、古様を伝えるものも多い。