長篠の戦い
山国の甲斐では、山のふもとに牧場が設けられ、良馬が多かった。そこで精鋭をほこる武田軍は、騎馬隊を中心に、長槍隊が敵陣をつきくずすという戦法をとりました。信長はこの長槍・騎馬隊と正面衝突することを避け、密集部隊を鉄砲でいっせいに射撃するという戦術を採用しました。このため陣地の前面に、二十余町の間に二重三重の空堀を掘り、土手を築き、木柵を 三重にはりめぐらし、甲州勢の突進を阻止しようとしました。もともと鉄砲をいちばん早く手に入れたのは武田信玄ですが、かれは、火縄銃は雨の日には使用できないし、一発うってから、つぎの一発を打つまでに時間がかかる鉄砲は実戦にはあまり役に立たないと考えていました。しかし信長は、鉄砲隊を三段に配置し,第一列が発射したあとは、第二列が前に出て発射し、ついで第三列が発射し終わったときは、第一列の玉込めが完了しているという、一発目と二発目との間の時間を短縮を考えました。これには多数の鉄砲を必要ですが、国友村(滋賀県)や根来(和歌山県)のような鉄砲の産地を手に入れた信長にはそれができたのです。