日本王国記
文禄(ぶんろく)元年、秀吉はスペインのマニラ総督に日本入貢を命令します。この交渉のために日本に来たのが貿易商人のベルナルディーノ・デ・アビラ・ヒロンです。生没年は不詳です。文禄3年に平戸につき,長崎に居住します。一時東南アジアにでかけますが元和(げんな)5年まで滞在し、この間の見聞を「日本王国記」に書き残しました。彼が執筆した豊臣秀吉から徳川家康のころまでの移り変わる日本の歴史、地理,風俗に関する記述は内容が豊富で、宣教師ではない俗人の眼からとらえた、極めて珍しいものです。「日本王国記」の中でキリシタン信徒および宣教師が、徳川家康によっていかに迫害されたかを記し、迫害の元はウィリアム・アダムズの讒言にあると、次のように厳しく指摘しています。「この王国(日本)で難破した船の水先案内であったイギリス人が造った小帆船で、1610年(慶長15年:仏暦2073)、ドン・ロドリゴはメヒコ(メキシコ)に向け出船した。このイギリス人はアダムズといい、われらの主とキリシタン宗徒たちに不利になるでたらめごとを国王(家康)に告げ口して、われわれをひどい目に合わせたのである」。