アッバス王朝の科学
アル=マムンは、八二九年にバグダドに 天文観測所を創立しました。 ここでの観測は アル=ファルガニ(第九世紀の前半)によってはじめられ、 ついで、サビ教徒で星を礼拝した アル=ハッタニ(約八五入-九ニ九)と サビト=イブン=クッラ(約八二六-九〇一)とによって つづけられました。 かれらは、メソポタミアのハッラン出身です。 ハッランでは、 古代のバビロニア宗教が 占星術と星の礼拝をともなって、 異教的なサビ派のかたちで存続していました。 この宗教は、一三世紀にその教徒が 蒙古人に絶滅されるまでは、 メソポタミアにつぎつぎとあらわれた 征服者たちすべてから、 黙認されていました。 アル=ハッタニは、 プトレマイオスよりいっそう正確な 黄道の傾斜と歳差との値を得たました。 またかれは、太陽の離心率が変化しつつあること (現代流にいえは、 地球の軌道は変化する楕円形であること) を発見しました。 このころアル=フワリズミ(八五〇年ころ没)は、 インド数学とインドの計算法とを 回教世界に紹介しましたが、 その代数学はインド人のものよりは劣っていました。