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カテゴリ:夫へのラブレター
今年もお庭に春が来ました。 少し前から福寿草が咲いて、いよいよだなと思って秋に植え付けたチューリップなどの鉢植えを暖かい南側から北向きのアプローチ側に移動させていたのですが、 強風がやんだ今日、お庭でこれらの花を見つけました。 水仙もハナニラもクロッカスも手のかからない植えっぱなしでも良い球根ですが これらが咲くと順々にチューリップの気の早い娘たちが咲き始め、 4月から5月にかけてチューリップを中心に花が咲き乱れる季節が来ます。 かっちゃんは私がチューリップの球根を毎年買い足しては初冬に植え付けるのを 「良くやるなあ……」という目で見ていました。 寒がりのかっちゃんは出てきて手伝うということはしませんでしたが、 (車の手入れならどんなに寒くてもやるくせに) 花が咲くと大好きなカメラでどんどん嬉しそうに撮影してくれました。 「きれいだね」って褒めてくれながら。(←私の容姿に対してではもちろんない) 休みの日の園芸店巡りも良くつきあってくれました。 亡くなるちょっと前に、咲き終わったチューリップの球根を掘り上げているのを、やっぱり「良くやるなあ」と見ていましたね。 10月頃、ぼんやりしびれた頭で、その球根を植え付けたのを思い出します。 (やらずにいられない性分がにくい) 「来年、これが咲いても写真を撮ってくれる人はいないのに。」 そんなことをぼんやり考えながらの植え付けでした。 鉢の土に球根を入れながら涙が出てきたことも。 季節が変わっていく。 当たり前のことだけど、それがいちいちこんなに悲しいことだとは思いませんでした。 8月の終わりに洗濯物を取り込みながら、ふと涼しくなった風に秋を感じたとき、 かっちゃんの逝った夏が終わるのだと思って泣いたこと。 11月クリスマスの電飾を止めようと思ったときも、 雪が降ったときも、風が吹いたときも、 秋の彼岸にかっちゃんの大好きなおはぎを作ったときも、 出されることのない冬物のトレーナーをタンスの奥に見つけたときも、 ……今日のように春の花が咲いたときも。 あなたのいない季節の思い出を重ねていく、これからの長い年月を思う。 もう仕方がないんだと頭では分かっていても、 普段はこんなに元気に振る舞う性格でも、 時折泣けて泣けて仕方ないことがある。 毎日仏壇に供える陰膳。食べてくれる人はもういないのだ。 上げるときには「今日はあなたの大好きな回鍋肉だよ。冷めないウチに食べてね」とか言って、 下げるときには「おいしかった?」なんてついつい聞いてしまう。 そんなことを毎日繰り返す自分の愚かさに、やっぱり泣く。 これからを思うとやっぱり淋しい。 淋しいという字は木が寄り添って涙を流しているという字なんだと 「ダイアモンド」という詩で書いたのは何という詩人だったか。 寄り添う木さえなくなったら、木は一本で立ち続けるしかないんですか? ………あ~~あ、真っ暗になってしまった、今日はお彼岸の中日。 そんな日もあるさね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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