★★★★★「セックスボランティア」を買いました。
10時ごろかな、ねーちゃんのアパートにてパソコン設置作業を終えて、帰ってくるときに雪が降っていました関東でも最近はよく目にしますね今日は久保田(千寿だけど)もらいました。ひとりでは最近お酒を飲まなくなりましたがちょぴっと飲もうかと思いますね。========昨日の夜に、「セックスボランティア」読み終わりました。今日はその感想を少し書いてみようと思います。この作品の構成で、一章から日本のセックスボランティア制度について理解を深めつつ、障碍者がどのように扱われてきたかということがわかるようになっています。そんで、途中から、性の先進国(?)ではどのような運営をされているかということを紹介してくれています===========この本を読んで少し考え方が変わったこと変わるまではいかないけど改めて考えさせられたことというのは、ボクは女の人をお金で買うことをとても許されない行為と考え、すごくそこらへんは潔癖でした例えば、自分の身の回りで風俗店を利用するような人のことをとても嫌がっていました、心から軽蔑していました。しかし、純粋にHすることの大切さ、つまり精神的効用のようなものもう一度考えてみることになりました。そして、心を生かすと書いて性という字というくだりを見て本来、人間は動物だし、動物学的に見たらとても重要なことだとあらためてHすることを柔軟に考えなくてはと思いました。=========でもね、本の中に登場する人たちをみると単純に性の介助という風に割り切れないのがホントに難しいところだと思います。これは、女性に対する男性の性の介助を取り上げた章やオランダにある、ある市の性の介助支援費の実際を調べた際にインタビューした人の描写からも浮き彫りになっています。障碍者が求めているのものが恋愛やあったかく自分を委ねられる人を求めている場合とただ行為を求めている場合(この場合も上のものを完璧に望めないとあきらめてしまったがために代償として、行為だけを求めているかのように見られる場合もあるが)のどちらなのかということが人によって違うということを考えなくてはならないです、もちろん、ひとりでするわけではないので介助する人の問題もあるわけです、それが、女性に対する男性の介助者において見られました。そして、その介助者の周囲の人の考え方というのも問題ですね。======筆者がオランダのルポで取り上げた代理恋人療法というものも興味深いものでした長期間の療法をして、性の本質的な良さを伝えたり、障碍者の自信をつけるセラピーというのはとても有効だと感じられました。というのも、セックスボランティアというのは身近なものでなくてもいいのではないかと思うからです。性を知らないままでは嫌だと考えるのがきっかけで風俗店を利用するのが多くの利用者の経緯であるから良さが分かったら、そのサービスを常習してその状況に依存することは厳しく言うと、甘えにも似ているのかもしれませんもちろん、障碍者の出会いの少なさや付き合いを始めることの障碍の多さというのはボクのはかりしれないものかもしれませんが、それでも常習しても意味がないことのようにも思います。ですから、セラピーというのは有効だと思います。========本来であれば、自分のことも少し書くと自分勝手な意見だと感じている人の理解も得られるかもしれませんがちょっと身の回りの人が観ていることもあってちょっとこの場ではできませんが、この本を読んでこんなことを感じました。