|
きのう
テレビで王様のブランチをチラ見してたら(笑) 新作映画の紹介コーナーで 『スキャナー・ダークリー』 が紹介されてたんでビックリしたよ! 何でかって あたしはちょうどその時、小説の スキャナー・ダークリー を読んでいる最中だったのだ♪ というコトで あたしは情報の速さにおいて… 王様のブランチに勝ったな(笑) この映画版ですが 監督が 『ウェイキング・ライフ』 のリチャード・リンクレイター というコトで 『ウェイキング・ライフ』 同様に デジタル・ペインティングの手法が使われているんですよ~ まあ、ともかく 映画のオフィシャル・サイトで 予告編を見たって下さい♪ なお オフィシャル・サイトで見られない方は myspace.comでどうぞ あたしはオフィシャルサイトで見れんかった(笑) どーですか!? この斬新な映像~♪ これがデジタル・ペインティングされた映像なんですけど(「ロトスコープ」とも言うらしいよ) 元々はアニメーションじゃなくって 実写で撮影したモノに手を加えて アニメのように見せてるんだって 主演はキアヌ・リーブス あとウィノナ・ライダーが出てるみたい 日本での公開は「秋」だって こっから原作の小説の話ですが もともと 『暗闇のスキャナー』 というタイトルで知られていた フィリップ・K・ディックの作品が 版元がハヤカワに変わったので タイトルもスキャナー・ダークリーに変わったらしいよ その内容なんですが! 「スキャナー」 という単語を聞くと みなさまPCの周辺機器(画像取り込むヤツね) を想像されるかと思うのですが あたしは デヴィッド・クローネンバーグの スキャナーズ ↑超能力者達が血みどろの抗争を繰り広げる映画(笑) からの連想で 勝手に「超能力を描いたSFだろう」 と思っていたのですが… まったく違った(笑) ≪ストーリー≫ カリフォルニアのオレンジ郡保安官事務所麻薬課のおとり捜査官フィレッドことボブ・アークターは、上司にも自分の仮の姿は教えず、秘密捜査を進めている。麻薬中毒者アークターとして、最近流通しはじめた物質Dはもちろん、ヘロイン、コカインなどの麻薬にふけりつつ、ヤク中仲間ふたりと同居していたのだ。だが、ある日、上司からある麻薬密売人の監視を命じられてしまうが… ↑99%ハヤカワのサイトからコピペ…スミマセン この ある麻薬密売人 というのが実は ボブ・アークター自身 (←ネタバレ反転) で、このあたりの設定がオモシロイよ♪ 笑えたのは 麻薬に興じている登場人物たちが どーでもよいお喋りをしていて それをスキャナー(盗撮カメラ)によって 監視しているフレッドが その、ホントどーでもよいお喋りの映像をいくら早送りしても いつまでも延々と同じコトを喋ってる(笑) のとか 「そのメイラー・マイクロドット社ビルって、どれぐらいの大きさ?」 「高さ三センチぐらいかな」とA※ 「重さはどれぐらいだと思う?」 「社員もコミで?」 フレッドはテープを早送りにした。計器の数字で一時間が経過するのを待って、テープをいったん停止させ、再生してみた。 「――五キロぐらいかな」とAがしゃべっている。 「へえ。じゃ、どうしてそばを通りすぎたときに気がつくんだよ。たった三センチの高さで、五キロの重さしかないビルに?」 いまではカウチの上に両足をのせてすわったAが答えた。「でっかい看板が出てる」 まったくもう! フレッドはそう考えて、またもやテープを早送りにした。実時間で十分ほどが経過したとき、もう一度再生してみた。 「――いったいどういう看板だ?」 ※人名はネタバレになるんで「A」とあたしが勝手に置き換えました(笑) このへん あたしが飲み会とかで酔っぱらいすぎて どーでもよいお喋りを続けている姿と そっくり置き換えが可能だ!(笑) と、まあ このへんは笑えるという意味で面白かったのですが 読み終わったとき 正直、ディックがどうゆうつもりでこの作品を書いたのは 最初よく分らなかった それは あたしが ↑にも書いたとおり 「とうぜんこの作品はSF的エンタテインメントな作品なのだろう」 という思い込みが読む前からあって この作品を最初っから最後まで ミスリードし続けたからなのですが(笑) 作品の最後にのっている「著者覚え書き」を読んで ようやく ディックの言わんとしていることが見えてきました この小説は、おのれの行為に対して、あまりにも過酷な刑罰を受けた人びとを描いている。彼らはたのしい時間を過ごそうと考えたが、それは路上で遊ぶ子供たちのようなものだった。彼らは自分の仲間がつぎつぎに殺されていくのを見ることになった――車に轢かれたり、手足をもがれたり、めちゃくちゃにされたり――だが、それでも彼らは遊びつづけた。しばらくのあいだ、われわれみんなはとてもしあわせだった。あくせく働かずに、みんなで輪になってすわり、冗談をいいあったり、遊んだりしていたが、その時期は恐ろしいほど短く、そのあとにやってきた刑罰は信じられないほど重かった。その重さは、現実にこの目で見ても信じられないほどのものだった。たとえば、この小説を書いているうちに、わたしはジェリー・フェイビンのモデルだった男が自殺したことを知らされた。アーニー・ラックマンのモデルになった友人は、わたしがまだこの小説を書きはじめないうちに死んだ。(中略) 麻薬乱用は病気ではなく、ひとつの決断だ。しかも、走ってくる車の前に飛び出すような決断だ。それは病気ではなく、むしろ判断ミスと呼べるかもしれない。おおぜいの人間がそれをはじめた場合、それはあるひとつの社会的な誤り、あるひとつのライフ・スタイルになる。この特殊なライフ・スタイルのモットーは、「いますぐ幸福をつかめ、明日には死ぬんだから」というものだ。しかし、死の過程はほどんどすぐにはじまり、幸福はただの記憶でしかない。つまり、それはごくふつううの人間の一生をスピードアップさせただけ、強烈にしただけだ。長い歳月でなく、ほんの数日、数週間、数ヶ月で終わってしまう。1460年にフランソワ・ヴィヨンは、「現金をつかんで質草は流せ」といった。もしその現金が1セントで、質草が自分の一生だったら、それはまちがいだ。 この小説にはなんの教訓もない。ブルジョア的でもない。この連中は働くべきときに遊んだのがいけない、とは説いていない。ただ、そのてんまつを物語っただけだ。(中略)わたしはこの小説の登場人物ではない。わたしがこの小説なのだ。ただし、当時の全アメリカ国民がそうだったともいえる。この小説で描いたのは、わたしが個人的に知っているよりもずっとおおぜいの人間だ。その一部は、みんなが新聞記事で読んでいるだろう。つまり、仲間といっしょにたむろして、テープ録音しながら、バカ話に興じる生き方、それは1960年代という十年間での体制内外のわるい決断でもあった。自然はそんなわれわれに鉄槌をくだした。恐ろしい出来事の連続で、われわれは遊びをやめるしかなくなった。 もしそこになにかの"罪"があるとすれば、それはこの人びとが永久にたのしい時間を持ちたいと願い、そのために罰を受けたということだが、さっきもいったように、わたしはこう思う。もしそうなら、その罰はあまりにも重すぎた。むしろわたしは、それをギリシア的な見かた、または道徳的に中立なやりかた、つまり、たんなる科学として、決定論的で公平な因果律として考えたい。わたしは彼らのみんなを愛した。そのリストをここに掲げ、これらの人びとに本書を捧げる。
……その他おおぜい。 追悼。この人びとはわたしのつきあっていた仲間だった。この上なくすばらしい仲間だった。この人びとはわたしの心のなかにとどまり、その敵は永久に許させることがないだろう。その"敵"とは、遊びかたそのもののまちがいだ。できることなら、もう一度この人びとがなにかべつのやりかたで遊べますように、そして幸福になれますように。 というワケで この 『スキャナー・ダークリー』 は SFというよりは ドラッグカルチャーを描いた小説 って感じでした そのへん 映画ではどーなってるのか気になるね 小説そのままだと たぶん面白くないと感じる人が 多いと思うよ(笑) 映像から受けるポップなイメージとは隔たりあるし あたしゃキライではないけどね(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[ミステリ・SF・純文学・マンガ・とにかく本] カテゴリの最新記事
|