今日も徒然/ダ・ヴィンチ
今日も実は、あんまり適当な内容が思い浮かばなかったけれど書いている日記です。しかし、昨日のようにずらずら日記を書いてみる、それもろくに意味のないようなことを、ってちょっと面白いですね。知識とか論理とかを求める欲求を満たしはしないけれど、精神的に楽になるというか。そんで、今日も昨日みたいに書いてみようかなぁ、なんて思ったのです。さぁ、書いてみましょうか。でも、今日は昨日よりも遅くに書き始めたので、あまり長い間書くことやめておこうと思います。それに、昨日は遅くまで起きすぎたので・・・。 適当な内容が思い浮かばないとか言いながら書きますけど、今日私は、レオナルド・ダ・ヴィンチについての番組を観ました。なんだか、いろいろなことを言っていました。モナ・リザはダ・ヴィンチが自分自身を重ねて描いている、とか、その背景に描かれた遠景は東洋の水墨画の影響を受けているのでは、とか、その絵の中には黄金率によるかたちが多くある、とか。その中には、ダ・ヴィンチが書き残したノートの大部分が鏡文字で書かれているというはなしもありました。それは解読しにくいようにするためにされたことだ、みたいなことを言っていたのですが、何か別の資料で、彼はある障害を持っていてそれによって鏡文字を書くようになった、彼にとってはそのように文字をつづるほうがやりやすい、といったことが書かれていたのを覚えているのですが、番組ではそれについて言及してなかったなぁ。一つの番組や本に表されたことがすべてではない、もっと他のほうに目を向ければ、同じことを扱っていても全然違う部分を見て違う考え方をしている人が表したものに行き着くのだろうということを感じました。でも、このダ・ヴィンチについてでも数え切れないほどの人間がそれぞれ彼について、あるいはその周辺についての研究しているのだから、彼をこれから研究したいとなると、そのすべてを知っておくべきだ、なんてことになりますかね。そうなると、ほんと、研究するってかなり忍耐が要りますね。 この番組を観て私が感じて、そして考えたことは、どうも言語化できないというか、言語化してもそれは私の中にあったのとは違う形になって出てきてしまう気がするというか、そんな感じで、ちゃんと表現できないのです。ですが、最後のほうに、ダ・ヴィンチは晩年に荒れ狂う水によって襲われる文明をよく描いていたというところをクローズアップしていた点は、先行きに不安を抱える今の時代ならではなのかなぁと思いました。温暖化が進んで水位が上昇して街が沈む。 歴史の本などでは「この時代には終末思想が広がっていた」というふうなことがさらっと書いてある場合がありますが、今の時代はどうなんでしょ。今からあと何百年かたった後にできる歴史の本には、今はどんな時代だったと書かれるのでしょうか。 ああ、わかんなくなってきたなぁ。どうも、何を考えても不確か過ぎていけません。 今日はこの辺で終わりとしましょう。