|
カテゴリ:本
遅れ馳せながら、リリー・フランキーさんの
東京タワーボクとオカンとときどきオトンを読んだ。 ずっと気になっていたうちの一冊だったけど、引っ越し先の新居は、アンナが大切にしていた大きな大きな本棚をどう考えても置く場所がなく、 そのくせ本を捨てられない性分の為、ベッドの下の収納スペースや、クローゼットやパントリーまで、読み込んだ本に侵食されていて、 極力ハードカバーの本は、文庫になるまで待つようにしていた。 そんなとき、後輩に 「これ、すごく良いから読んでみて!」と手渡されたのだった。 正直、リリーさんの事はよく知らない。 オシャレでいい加減な、ちょっと不良なおっさん、というイメージだったが、読みおわった今では、 なんてイイ男!リリー・フランキー! と憧れの眼差しでテレビを見つめる様になった。 フライト先で、いつもならホテルに着いて爆睡するのが、 ぱらぱら捲り始めたら、そのまま数時間、眠いのも忘れて、一気に読破した。 そして、溢れる涙を拭い、洟をかむと、不思議と、温かく、清々しい気持ちになった。 所々で「くすっ」と笑ってしまうようなユーモアと、 ボクとオカンとオトンの人間味溢れるキャラクターに引き込まれる。 ボクが東京に出てきて、風疹にかかり、伝染を恐れて、友人達もが遠巻きに見ている中、オカンは 「大丈夫よ。明日、朝一番で行ってやるけん、待っときなさい。 」 と言い、九州から看病に来る。 アンナも、何度かそんな事があった。 インフルエンザになり、その知らせを受けた母は、新幹線に乗って、数時間後にはアンナのマンションの台所で、実家で食べるのと 寸分違わぬ料理を作ってだしてくれた。 誰しもがかつて大きかったはずの母親の存在を、小さく感じてしまう 瞬間がある。 それは母親が老いたからでも、子供が成長したからでもない。き っとそれは子供の為に、愛情を吐き出し続け、風船の様にしぼんでしまっ女の人の姿なのだ と言う一文に、年々、小さく感じる母を重ねていた。 母は、自分の好きな食べ物でも、家族が欲しがれば、喜んで分け与えてくれ、自分の欲しいものをガマンしてでも、子供にあれやこれやと、買い与えてくれた。 父親からそんな事をされた覚えは一度もない。 父からは違った形で愛情を感じる事はあっても、やはり母の様に身を削ってでも子供にすべてを与えるやり方とは違う。 それは、根本的に、始めから違っているものだと思う。 私も、子供を産んだら、自然とそんな事が出来る様になるのだろうか。 どれだけ頑張っても女優さんやお医者さんには、きっとなれないだろうな、と幼い頃から思っていたけど、 「お母さん」には、何を頑張らなくてもなれると思っていた。 家族と過ごす当たり前だと思っていた日常は、休みをやり繰りして 、捻出する小さな贅沢になっている。 夢を叶える事より、当たり前にありふれた小さな幸せが、今の私にとっては困難な様だ。 でもいつかは、母になって、大好きなユッケを 「アンタこれ好きでしょ。食べなさい。」なんて言ってみたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|