台風の後に思い出す 『有田川』 有吉佐和子
ニューオリンズの様子を見て、よその国のことだと安心していたわけではないけれど、東京集中豪雨の映像はやはりショックだ。海沿いでも川沿いでもない住宅地があんなに水に浸される様子は想像していなかった。こういう災害を見るたびに思い出す本がある。和歌山県出身の有吉佐和子が母のお気に入りで、結婚前に本棚から借り出して読んだ中の一冊だけれど、著者の作品の中ではマイナーなものらしくアマゾンでも楽天ブックでも在庫切れだった。紀州で蜜柑を作る女性の一生を描いた作品なのだが、背景として紀伊半島を襲う大台風が登場する。今、手元にないので確かではないけれど、その中の一つは死者5千人を出した伊勢湾台風だったと思う。主人公は人生の節目で台風に会い、大きく行き方を変えていく。それ故に彼女は晩年、安寧な人生を送るようになってからも台風が来ると聞けば梅干を入れてありったけの米を炊き、握り飯を作る。そうそう非常食が必要な台風が来るわけでもなく、その後何日も酸っぱい握り飯を食べさせられる家族からは不満も出るが、彼女は意に介さない。小説背景となった昭和前期とは比較にならないほど精度の向上した台風予報の下にありながら、家財一式を水没させている家の様子を見ると、特に主人公が生まれ育った家から濁流に飲まれて、切り離される台風の場面が思い出される。家人は総出で、家の補強をし、食料を用意し、家財一切と畳にいたるまで二階に運び上げる。さらに注目すべきはその後だ。水が出て、一階が浸水される頃には家人は当然二階に避難するが、当主以下男衆達は腰に縄をつないで屋根に出て、濁流に目を凝らす。人が流れてきたら助け出そうと構えるのだ。私自身一級河川の土手を背にする家で生まれ、結婚するまでそこで過ごしたけれど水があふれたことは一度もなく、台風が来るからといって家財道具を動かそうなどと思い及んだことはなかった。けれど今、異常気象が毎年のように続き、気象変動と呼ぶべき状況であることが確実視されている。今回の豪雨が東京都の想定を大きく越えていたわけだけれど、治水事業は2年や3年でできるものでもなく、後は自分たちでいかに被害を少なくするかということを考えなければならないわけだ。自然に立ち向かっていた祖先の姿に学ぼう。