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2011.08.23
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少し前の日記で、
「原発でも作らないとやっていけなかった」
というような話を書いた。

『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』
(開沼博・著/青土社・刊)を読みながら、
著者である開沼さんの思いは、
「原発でも作らないとやっていけなかった」
という言葉に込めた私の思いととても近いなあと思った。

中学1年の夏休み自由研究がもとで、
公害に関する書物を渉猟していた時期がある。

1970年は、公害元年とも呼べるような年だった。

大気・水質・土壌汚染の元となる汚水や排ガスを
工場から絶え間なく排出し、環境が汚染されるばかりか
周辺地域に住む人々の健康に甚大な被害を及ぼしていたことに対し、
ようやく企業の責任を問うことが出来るようになり、
改善策にも着手するようになった時期。

水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく……。
汚染源の企業による損害賠償と平行して、
大気汚染が原因の喘息患者に対し公害によるものと認定、
治療費を補助する制度が出来た。

新聞紙上では連日、そんな公害関係の記事が掲載されていた。

皮肉なことに、大阪万博が開かれ、
日本が第二次世界大戦から完全に復興を遂げたことを
世界に向けて高らかにアナウンスした年でもある。

そう、その復興を支えて来たことのツケが、
まさに公害による人々への健康被害、環境汚染だったのだ。

しかし、そうしたことを企業や国、自治体側に認めさせることが
いかに困難であったか。
何十年にも渡る“闘争”があり、世界的な潮流もあって、
ようやく救済への道が開かれた。

国策として工業大国への道を進むこととなった日本。
それは明治維新以降続く路線。

敗戦後も、復興の主要施策はやはり殖産、鉱工業の推進。

資源は乏しいが、技術を持つ日本は
原材料を輸入して製品に加工し、
それを輸出することで大きな利益を得る。

社会科の教科書に必ず書いてあること。
日本の教科書で教育を受けた人なら、誰でも知っている。

しかし、その裏で、
国策の元に推進された工業化が元で環境汚染は進み、
周辺住民への健康被害は深刻化していったことは、
1970年当時の教科書には、まだ記されていなかったと思う。

国の繁栄のために企業が国によって支援される一方で、
国民の健康被害に対しては、なかったことにしてしまう風土が
あった。

漁業だけの貧しい地域に工場が出来る。
それによって新たな雇用が生まれるが、
海は汚染され、住民には深刻な健康被害が及ぶ。
健康被害が及んだ人たちであるにも関わらず、
原因不明の奇病として、差別されてしまう。

工場で働く人々も含め、その町には
工場関係者がたくさんいる。

同じ地域に住む人々の間に決定的な利害関係が生まれる。

(ここまで書いてみて、工場関係者で
 健康被害を受けた人だっていたはずだと、思い至るけど)

大企業や国=中央が行うことに逆らえないという風潮があった。

1960年代までは、そんな意識がまだまだ色濃く残っていた。
そうね、江戸時代に小作が理不尽さを感じても
身分制度によって
正しく反論、改善に向けた意見表明や行動を起こすことが
厳しく禁じられていたと同時に、
そのような気持ちになることさえ、許されない無言の圧力があった頃と
ほとんど変わってなかったかも。

民草は、いつも何かの犠牲になる運命だった?

海外からの資源調達と、製品後の出荷に便利な地域から
まずは工場が建設されていった。
工場にはたくさんの人手が必要。
周辺地域、あるいは農業だけ、漁業だけの貧しい地域から
人材を調達していく。

いつも周辺、辺縁地域は、
人材を食料を
中央に向けて供出してきた。

そこのところは平城京の時代から変わらない。

都市の華やかさ、物流の豊かさに比べて、
ムラはいつも地味で貧しかった。
(決してそのように断言出来ないことは充分承知)

中央の豊かさのために、地方は常に物資や人材を供出して来た。

お国のため、社会のために役立てる。
それこそが大義。
自分たちに出来ることで世の中のお役に立つ。

次代につなげるべきは、若い人材、命。
子どもは社会の宝。
その一念で、親は、おとなたちは子どもを育む。
わが子に、子どもに未来を託し、必要とあらば
我が身を削ってでも、教育を施し、都市に送り出し、
仕送りを続ける。

すべては“お国のため”、
ひとり一人が虐げられて来た歴史がある。

原発でも作らないとやってられない地域にだって、
我がふるさとに対する誇りがある。
その誇りを持続させるために原発を受け入れる。
なぜなら、原発で作られる電力が
中央を潤し、より多くの人々の役に立つから。
そこに、わがまちの存在意義をも、見出す。

中央で暮らす、我が同胞もいる。
わが子も中央で暮らしている。
彼らに電力を送り、支えることが出来る。

身を削って仕送りを続ける親と、どこか似ていないか?

「フクシマ論」を読みながら、
仕送り文化と言う言葉が思い浮かんだ。

仕送りを続ける人々を誰が責められる?
それは、ふるさとから遠く離れて暮らした経験のある人なら
誰もが共感するところなんじゃないだろうか。

しかし、仕送りが役に立つと信じて続けていても
何故だか、裏切られる。

親が子に施す仕送りであれば、もとより犠牲なんてふうには考えない。

が、確信犯による誘導で
仕送りさせられていたとすれば、どうだろうか。

ツイッター上で、
福島原発事故と水俣のことを重ね合わせる人が
少なからずいることは、当然だろう。

未だに解決出来ているとは言い難い水俣の現実。

そのような体制を作って来たのは誰なのか。
人心を巧みに利用して、公害をまき散らして来たのは誰なのか。

原発に関しては、別な要素も大きく関与して来たとは言え、
原発推進の構造としては
さほど大きく変わらないように思う。

仕送り文化のような意識もまた、
この国の精神的な構造を捉える視点ではある。

開沼さんが「文化」を重要な要素として捉えていたのには
まさに、以上のようなことをも意識なさっていたからだろうと思う。
精神構造としての「文化」。

人々の意識を変えることのあまりの困難さ。





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Last updated  2011.08.24 03:08:31
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