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カテゴリ:20110311にまつわる諸々。
昨年5月に訪問した方が東京でご講演
と聞き、あるシンポジウムに参加する。 ファシリテータはもちろん、主催者も友人。 先月ニューヨークは国連本部で 人権に関する発言を行った 福島から東京に避難中の小学生が、 ワークショップでの諸々を報告。 年格好と語ることがとの大きな乖離に 誰もが痛みを感じる。 まるでおとなのような物言いをする子どもとして、 かつて私も要注意な子どもだった。 本人には、おとなたちが騒ぎ立てるような理由、自覚 (なぜ、子どものくせにというような)はなかった。 彼は違う。 こういう物言い、言語を駆使しなくては 自分を含めた福島の子どもたちの現状を おとなたちに理解してもらえない。 だから、僕はおとなが言わんとする背伸びをする。 背伸びした表現を使い、発言する。 その覚悟。 徹底している。 でも、同い年の子どもたちとの関係を保つため、 そろそろ今の言動は慎みたい。 用は、子ども仲間から浮いてしまいたくない ということだよね。 しがらみ? シンポジウム終了後に、 ファシリと仕掛人その3くらいの友人と打ち上げ。 もちろん福島県内在住の友人も一緒。 子どもを侮ってはいけない。 我が娘もそうだったけれど、 自己主張する勇気ある子どもを ちゃんと守れなくて、どうするんだ? 言わされているんじゃんかうて、 自ら物申している子ども。 今の日本では、そういう子どもがつぶされる現実。 つぶされたくないから、 と、時限的に自らの能力を抑えてしまう子ども。 これじゃ誰も、持てる能力を延ばせないじゃん。 ただただ。 うなだれるには、訳がある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.03.21 01:48:54
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