新訳が出ていたので朝吹訳とどんな風にちがうのか、興味本位に読む。
『悲しみよこんにちわ』サガン(河野万里子訳)
あとがきに小池真理子さんが書いているように、朝吹訳=サガンの世代。
よくなったのかどうなのかわたしにはわからないが、
わかりやすく洒落たいまふうの描写にはなった。
あの15歳に読んだ時のみずみずしさはもう感じられない。
あたりまえ。
ただあのとき、ストーリよりも
陽光まぶしい南仏の海
白い別荘
松林の緑
時間とお金があるヴァカンス
自由な女と男
恋愛の妙味
ある階級
かないもしないあこがれであった。
その後
訳者朝吹さんも著書『わたしの巴里・アンテーク』により
ベルサイユにあるご自身のお屋敷の写真集とおいたちで
そういう環境、階級のひとと知り、
複雑な思いもしたのであった。
とき経て、
文化も環境も上昇(偽っぽいが)したようで
カルチャーあくがれは無くなったが
おかげで
新鮮さも薄れ、ストーリーも平坦になってしまったのは
否めない。
悲しいような追いつき。
それでも20世紀のフランス文学上の一傑作なのだろう、フランス語がわかれば。