江藤淳のエッセイ
文学と私・戦後と私10刷改版 夏目漱石を読破したら江藤淳の『夏目漱石』を読もう、と思っていた。でも取り付き難かったら厭きるよな~と逡巡中、あ、ちょうどエッセイ撰集の文庫版が復刊、飛びついたわけ。 暮れの忙しい中とお正月ののんびりの内で読了、いい時読んだと思う。よく珠玉のエッセイ集という言い方があるけれど、これがそう。 ブログという拙いものを書くにあたって、こんなに参考になったエッセイは初めてで、気分もあらた、力も湧いてきた。 わたしはワセダマン派だからケイオーボーイふんぷんの文章はちょっと気にさわったが、本筋には関係ない。 わたしの姑は「落ちぶれた」と何かにつけて慨嘆する。「過ぎた事はしょうがないじゃないの」とそれがすごく嫌だったが、江藤淳の文章を読んでなるほどなーと理解できてきた。 「戦後の悲哀と喪失感」はわたしたち世代「何もなかったがあたりまえ」にはわからないこと。 たとえばカステラの話が出てくるが、それがすっかり無くなった時の悲しみは、戦後カステラが出回って食べた時「こんなおいしいものがこの世にあったんだ!」と思った世代には共有できないことだ。 むしろ「知っていたんだよ」と言われると悔しくなってしまうほどおいしかったのである。思い焦がれて、やっと食べられるようになって感激した世代とのずれである。 飼い犬のことについてのエッセイもわたしの感覚をたわめてくれた。(長くなるからまたの機会があったら書こう)また、もちろん文学、夏目漱石、生活等々心地よい文章であった。 気鋭の文芸批評家として、昭和の文壇に颯爽と登場した著者は、その膨大な執筆活動のなかで「随筆を書く喜びにまさるものはない」と述べた、稀代のエッセイストでもあった。自身の文学への目覚め、戦後の悲哀と喪失感。海外生活について、夜の紅茶が与える安息、そして飼い犬への溺愛-。個人の感情を語ることが文学であるという信念と、その人生が率直に綴られた、名文光る随筆集。(「BOOK」データベースより)