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テーマ:Jazz(1977)
カテゴリ:音楽日記
さすがのわたしも遊び疲れたか、月曜というのにへろへろ。
微熱があるような気さえする。 ちょっと迷ったけど、やっぱりどうしても聴きたい! 山下洋輔さんと、菊地さんの音楽を。 それに今夜のために、若かりし日の菊地さんが参加していた山下洋輔ニュートリオの「Playground」を聴いて、予習しておいたんだもん。 92年録音のこのアルバムでは、まだ菊地さんのエロさも半ばくらいだし、ジャケットの写真を見ると髪もふわふわじゃないし、黒ブチめがねをかけてたりする。 テナーサックスの音もまだ、ずずーんと身体にしみ込んでくるような重さはなく、若々しい華やかな感じだ。 菊地さんのテキストがそうであるように、山下さんのエッセイも軽妙で中毒性があって、好きなのだよなあ。 音楽への愛をあんなふうに語るひとがどんなピアノを弾くのか、どうしても生で聴いてみたい。 で、結局、ふらふらのまま行ってきました。ピットインへ。 3日目ともなるとさすがに要領がよくなり、チケットの番号が若かったこともあって、ちゃっかり3日間でいちばんよい席に収まる。 今夜はさすがに、昔からのジャズファン、という感じのご夫婦などもいて、客席は落ち着いた雰囲気。 かばんにしのばせていたいしいしんじ「ポーの話」をちょうど読み終えたところで、開演。 ♪ ライブは、説明する言葉も、その必要もないほどすばらしいものでした。 …というと、ライブが始まる前に日記が終わっちゃうので、書きますけれども。 明日世界が終わるというその前夜、死ぬほど愛しているひとと永遠につづく晩さんをいただいているような。 終始、夢見ごこち。 最初のうち、山下洋輔さんはまるで、和菓子職人みたいに見えました。 繊細な手つきで、食べると甘い芸術品をつくるプロのひと、という感じ。 けれど演奏がすすむにつれ、山下さんは、ほとんどピアノそのものになっているのでした。 ときどき、ピアノとピアニストが入れ替わっているんじゃないか?と心配になるくらい。 火のような、情熱的なピアノ。 南博さんはピアノ(女性。南さんが弾くピアノはぜったいに女性)が鳴らしたい音楽を1音もらさず引き出していて、「これ以上のジャズピアニストがいるのか?」と思うほどだったけど、なるほど。自分が楽器になってしまうという手があるのだなー。 甲乙の問題ではなく、どちらの魅力も捨てがたい。 「オレンジは彼女の色」、すてきだったなー、甘くて苦くて。 いつか食べた、オレンジピールのチョコレートがけみたいだ。 チャールズ・ミンガスの「フォーバス知事の寓話」、黒人差別を諷刺する政治的な色合いの強い曲なんだけど、日本で、新宿三丁目で、夜更けのピットインで、聴くと、「人間っておばかよね。いつか死んじゃうのに」という曲に聞こえた。 菊地さんのサックスが、そうしゃべってるのかもしれない。 菊地さんのサックス、今夜は一段と冴えわたっている。 彼に操られ翻弄されることを、身体じゅう(…っていうか、楽器じゅう?)で喜んでいるよう。 アンコール前のラスト、菊地さんがサックスを構えた瞬間に、「古時計、やってくれないかなあ」ってふと思いついて念じていたら、本当に「おおきな古時計」が始まったので思わず泣いてしまった。 「Playground」の時計は80歳くらいだったけど、今夜の古時計は100歳どころか120歳ぶんくらい深くひびいていて、びょーびょー涙が止まらなくなり、途方に暮れる。 楽器奏者も、歌手も、詩人も、和菓子職人も、年齢と経験がそのまま、つくり出すものの深みになるんだなー。 きわめつけ。アンコールはデューク・エリントンのソリチュード。あまりにも有名な曲だけれど、音楽っていうか、詩だよねこの曲は、ほとんど。 ピットインを出たら、世界がおだやかに、やさしく輝いていたのでびっくりした。 音楽ってすごいなー。ほんと。 疲れてても4日間、通ってよかった。生きててよかったとさえ思うよ。 浴びるほど、うんざりして飽きるほど聴こうと思って4日分チケット取ったのに、浴びても浴びても、もっと欲しくなる。 そんな音楽に出会えたことは、本当に幸せだなあ。 …翌日会社で、文化的上司さまとランチデートのとき、ピットインに行ってきたことを打ち明けたら、「なつかしいなあ!ピットイン。洋輔かあ。へえ!大学の先生なんかやってんのか。ピアノ、ひじ打ちしてたろう?若いうちはそうやって、あちこち出かけて遊ばないとね。大きな声じゃ言えないけど」と少年みたいなひとみで喜んでくれました。 このお方の文化的ふところはどこまで深いのでしょう? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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