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カテゴリ:美術館日記
竹橋の東京国立近代美術館へ。
都路華香展。 つじかこう。という日本画家は知らなかったのだけれど、達磨大師のポスターを街で見かけて、そのあわあわしたひょうきんな筆が気になって仕方なくなってしまったのです。 お向かいの柳宗理展や、常設展は大入り満員なのに、都路華香展は人も少なくて見やすい。 あたたかみのある線で描かれた、埴輪を焼く古代人。 ひれを振る音まで聞こえるような、屏風の鯉。 研究しつくされた波の描写。 水辺であそぶ子どもら。 淡い色彩で繊細に描かれた桜。 順番に見てゆくうち、だんだんふしぎな感じがしてくる。 これは本当に、ひとりの画家の展覧会なんだろうか。 筆のはこびも、圧も、勢いも、そして色づかいも構図も、絵によってまちまち。 けれど、そのひとつひとつがすごく、愉しい。 このひとは心の底から絵が好きで、絵を描くことが楽しくて仕方がなく、そのときどきの制約はあったにせよ、心を解き放って描いたのだろうな。 年表を見たら、9歳のとき、有名な画の先生に師事した、とある。 9歳からプロとして描きつづけていれば、それはもう、描くことが生きることにぐいぐい食い込んで、境目がふやけるほどだったろう。 柳宗理展。 入ってすぐの棚に置かれていた白磁の器のうつくしさよ。目のさめる思い、とはこういう心持ちを指すのか。 真に洗練されたデザインは、時を経ても表情が変わるだけで、古びるということがないのだなあ。 それにしても、国立美術館に大まじめな顔で皿やフォークや使い込まれた鍋が並び、「作品に手を触れないでください」なんて書いてあるのは愉快。 人の手に馴染み、使われて味が出てくるものは、見れば見るほどしみじみいとしさがわいてくる。 バタフライ・スツール。白くかがやくティーポット。お湯が早くわくやかん。 見るもの全部、手に取ってみたくなる。欲しくなる。ぐっとがまん。 いまは最小限の限られた食器しか持っていないけれど、いつか広い家に住んで、台所には水屋箪笥を置いて、味わいのある食器をたくさん集めよう。 と固く心に決める。 美術館の外に出たら、皇居周りの緑が霧雨に濡れていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.01.25 13:42:13
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