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カテゴリ:ヨーガ日記
東京にいるころから少しずつ、少しずつ書きすすめている文章がある。
去年は退職に引っ越しに結婚式…とイベントが満載で、身の回りが慌ただしくなるたびに手が止まるのでちっとも進まなかったのだけど、いよいよ時間もできたので、ちゃんと向き合うことにした。 少し時間を空けると、必ず「わたしには、人さまに読んでいただけるものなど書けないのでは…?」と心細くなる。 大それた野望を語るわたしに、賢い人たちがこれまで授けてくれた現実的なアドバイスが、走馬灯のようによみがえる。 そんなときは、このブログにいただいたたくさんのあたたかい言葉や、大切な人たちからもらった手紙や、尊敬する人たちの本を何度も読み返して、泣きそうになりながらがんばって原稿用紙を広げる。 宿題で作文やレポートを書いていた学生時代とも、仕事で原稿を書いていた記者時代とも、今はちがう。 誰もわたしに文章を書けとは言ってくれないし、たとえ書いても、誰の目にもとまらない可能性は十分にある。 こわい。とても。原稿用紙こわい。パソコンこわい。 でも、存在しない文章は、その価値を判断してもらうことすらできないのだから。 書くのよ、わたし! 無理やり原稿用紙に向かって落書きしたり、ネットサーフィンをして現実逃避をしたりしているうちに、ほんのちょっとだけ晴れ間が見えるような感覚が訪れるときがあって、「あ…」と思う。 どちらが陸かもわからなかった夜の海で、灯台の明かりを見つけたような気持ち。 灯台は次々にあらわれるので、今見えた灯台が最終目的地ではたぶんないのだけれど、少なくとも、今日やるべきことだけはわかった。明日のことはまた、明日考えよう。 まず、誰かのやり方やほかの人が作った枠組みに当てはめようとするのをやめなければ。 自分の周波数は、世界にひとつしかない。 耳を澄ませながら少しずつダイヤルを回して、自分で見つけなくちゃ。 文章を書くことは、海に潜ることに似ている。 集中しているときは、想像したり創造したりしている感覚ではなくて、その世界に身体ごと潜り込み、五感を使って見たり聞いたり触ったりしたことを写生しているような感じがする。 展開される景色や出来事に手や語彙力が追いつかなくて、もどかしい思いをする。 でもこれは潜水と同じで体力を要するし、長時間ぶっ通しで潜ると五感の精度が鈍ってくるので、一定時間潜ったら浮かび上がって呼吸を整え、あらためて潜るのがいいように思う。 たとえば料理をしたり、散歩をしたり、ストレッチをしたり、雪かきしたり(!)、言葉から少し離れてからあらためて潜る。 うまく潜れると、ずーっと潜って海底の景色を眺めていたくなるのだけれど、わたしはまだまだ体力が足りないみたい。 訓練を積めば、ある程度長い時間潜っていられるようになるのかな。 * しばらく机に向かっていたら頭の中がもやもやしてきたので、ヨーガをためす。 最近は、綿本先生のパワーヨーガDVDに合わせてやっていたのだけど、今日は雪かきの後遺症で上半身がばりばりなので、教室に通っていたときやっていたゆっくりめのラージャヨーガのDVDにしてみた。 呼吸のリズム。体のバランス。心身の静寂。体のパーツひとつひとつに順番に話しかけて、ゆるめるべきところはゆるめ、動かすべきところはゆっくり動かしてゆく。 体の調律ですね、これは。寒さでちぢこまり、雪かきでこわばった体の秒針が、順調に動きはじめる。 いい文章を書くには、気持ちを充実させること。気持ちを充実させるには、まず心を安定させること。心を安定させるには、何よりも体を整えること。 せめて走りに行けない冬の間、少しずつでも毎日つづけよう、ヨーガ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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