|
カテゴリ:美術館日記
秋晴れ。 子どものころ、こんな日には「どこか遠くへ出かけたいなあ」と思ったものだけれど、今は「おふとん干せるなあ」と思ってわくわくする。 布団をとりこんだら、秋をさがす散歩に出かけよう。 * ピカソ展を観る。 混雑を避けて、金曜夜の延長開館をねらいうち。 思いのほかゆったり観ることができた。 フェルメール展もこの作戦でいこう。 それにしてもピカソおじさんは、つきあう女性によってみごとに画風が変化する。 女性に恋するきもちは、世界に恋するきもちと通じるのですね。 そしてひとりの人格の中に、何人も画家がいるとしか思えないほどいろいろな絵を描く。 立体作品や彫像もある。 そのすべてが「ちょっとやってみた」という感じではなく、形式として洗練されている。 網膜にうつる、物の「かたち」とはまるでちがうのに、わたしたちは彼の作品を見て、これは女だ、これはヤギだ、これはギター、と本質(のようなもの)をつかむことができる。 本質(のようなもの)を、離れた国、ちがう言葉をもちいるまったく別の人間(たとえばわたし)にも伝えることができるという点で、彼は天才とよばれるのかもしれない。 写真でない、写実的な絵でもない。 ピカソじいさん(と呼びたくなります、この展覧会を観ると)にしかできない新しい方法の発見。 それは表現というより、ひとつのメディアに近いという印象を受けた。 「新しい筆の使い方を考案した」というよりは、 「どうしても伝えたいことがあって、従来の方法では伝わらないのでテレビを発明してテレビ局を開設してしまいました」というくらいのでっかいスケール。 すごいのは作品だけでなく、むしろその向こうがわにある彼の「目」だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.11.13 16:43:48
コメント(0) | コメントを書く |