夢見る水の王国
まちがいなくここが自分の居場所、という事実を体に染みこませるのに、とても時間がかかる。それはおそらく、母のスカートの陰に隠れて世界をのぞき見ていた少女時代からの性質で。「大きくなったら、きっと楽になる」と自分に言い聞かせて何とかやってきたけれど、「いつまでも慣れない自分」に慣れただけで、わたし自身は何も変わらなかった。住みはじめてもうすぐ2年になるこの町でも、つい最近まで、「ここはどこだろう」とふいに思いついてあたりを見回してしまうような瞬間がときどきあった。数日前に散歩をしていて、ふと周囲の景色に違和感なく馴染む自分の体を発見した。ああ、ようやく。今回は2年かかった。時間のかかる体や心を持て余した時期もあるが、いまは案外、慣れるまでの過程も楽しんでいる。芯、というほど大げさなものではないが、周りの景色や生活習慣が変化しても変わらないものが、自分の中に増えてきたような気がする。出会って、馴染んで、手ばなす。何度でもくり返して、研ぎ澄まされる。ほんとうに大切なものなら、かならず手の中に残っていく。寮美千子「夢見る水の王国」を読む。祖父とふたりきり、海辺の家で満ち足りた日々を過ごしていた少女マミコ。海のむこう、幻の島で、雲母を掘りつづける年老いた鉱夫。交わるはずのないふたつの世界が、ある日、マミコが砂浜で木馬を見つけたことをきっかけに、ゆっくりと交錯しはじめる―詩的で繊細な文章が積み重なって紡がれる、美しく壮大なファンタジー。薄い雲母のかけらのような、夢の断片のような短い文章が積み重なって、ひとつの大きな地図が編まれていく。現実の論理…というよりは、夢のなかの文法で書かれているので、体が文体に慣れるまで、あせらずにじっくり読むことをおすすめします。深夜、静かな部屋でひとりページをめくっていると、本を読んでいるのに夢をみているような、物語と現実が混ざるような、ふしぎな感覚におそわれる。少し前のページに戻って、思いをめぐらせてはまた読みすすめるという読み方にも耐える、ずっしりした量感の物語。