3年前の出来事をテレビ画面を通じて単なる恐怖ではなく、
この国はいったいどうなるのだろうと不安にさいなまれた事を思い出します。
どうなるのか喉元すぎればの感が否めませんし、
自分たちが居なくなったとどうにでもなれとでも言いそうなジイサンたちが厄介で、
いつまでも昭和40年の感覚でコントロール不能のエネルギーにしがみつきます。
雑誌の対談でも原発推進のジイサンが知の巨人と言う触れ書きには笑いました。
どうして気持ちよく隠居してくれないのか不思議ですが、
私も同じ歳になれば理解できたとしても、もう30年は不可能な気がします。
ドキュメンタリーでも取り上げられていましたが、
社会全体の高齢化は人類史上初めてで、テストケースが存在しないようです。
言われてみればそんな気がしますし、
ずっと元気で居て欲しい人も少なからずいらっしゃいますが、
世の中の動きを今までの経験値でしか計れないリーダー・〇〇代表の弊害が見て取れます。
人類初経験の高齢化社会をどのような舵取りで進んでいくのか、
選ぶ側の覚悟と思慮がますます問われる震災後の国づくりと思います。
特に覚悟が必要になりそうで、飢餓や内戦よりマシと考えるのも間違いではありません。