|
テーマ:スポーツあれこれ(11400)
カテゴリ:興奮しすぎのスポーツネタ
国際柔道連盟(IJF)理事選で、ロス五輪金メダリスト・山下泰裕氏が、アルジェリアのメリジャ氏に大差をつけられ落選、柔道本家が理事メンバーから消えるという事態になった。 実は、先んじて会長・朴氏が辞任し、新たに会長に就いたのが朴氏の反対路線を行くビゼール氏なのだが、彼が中心となって欧州勢を結束させ、圧倒的多数の票をメリジャ氏に流れさせたのだ。「朴氏はビゼール氏によって失脚させられた」という噂もあるほど、露骨で強引な手法を持つ人物だ。 山下氏が劣勢になった理由の一つは、前会長・朴氏を支持していたことによる。 日本が1952年に乞われてIJFに加盟して以来、日本人理事がゼロになるのは初めてのことだ。 理事選で山下氏は、競技関係者のマナー向上や不正柔道着の取締りなどに取り組む姿勢をアピールしたが、柔道をスポーツとしか捉えていない欧州勢にとっては、商業化や更なるスポーツ化の方が支持するに値するものだったようだ。 既に、プロテニスのようなGPシリーズ構想が立ち上がり、世界選手権の毎年開催、ポイントランキング制の導入が決定している。ルール変更が行われる可能性も極めて高い。 危惧されるのは、それだけではない。 日本人選手とまともに組みたくないために、襟を分厚くしたり、袖口を細くして掴みにくくするといった、不正柔道着がまかり通るようになる。 審判は欧州出身者が多く、ただでさえ未熟な上に、欧州スタイルの判定をされ、不可解なジャッジに泣かされる選手が多発するだろう。 ここまでくると、最早JUDOはスポーツであり、武道ではない。 加えて以前にも書いたが(※)、昨今の柔道選手は日本人であろうと外国人であろうと、首を傾げることが多かった。 武道に携わるものは、本来、勝敗に一喜一憂してはならない。 剣道では、ガッツポーズをすると一本が取り消される。己の精神面、技術面を鍛錬するために試合をしているのであり、相手を負かして悦に入るということは、その相手を侮辱していることになり、許されないのである。 ところが、今の柔道選手はどうか。 畳の上で派手なガッツポーズをしたり飛び跳ねたり、負けた相手を思いやる気持ちなどない。勝って嬉しいのは分かる。しかし、武道家を自負するのなら、せめて畳を降りてから喜びを表現すべきだ。 大きな試合しか見ることはないが、私が現在、柔道家として最も素晴らしいと思っているのが、警視庁の棟田康幸(むねたやすゆき)選手だ。 ブラジルで行われた世界選手権の最終日、無差別級で金メダルを取っている。 大男相手に、宙で体を反転させては寝技に持ち込む鮮やかな様は、正に柔よく剛を制す。谷亮子選手の復帰が放送のメインだったが、柔道が好きな人ならば、棟田選手の方が印象深いはずだ。 その棟田選手は、多くの選手が形だけの礼をする中、非常に丁寧に頭を下げる。勝っても淡々とし、一本を取られて起き上がれない相手には、手を差し伸べる。 無愛想だと思う人もいるかもしれないが、これが武道家の姿だ。先ずは、日本選手が彼を見習って欲しい。 因みに、私がイラッとくるのは選手のマナーだけではない。 「諸手刈り」や「朽木倒し」という技。 和名がついているが、これは単なるタックルである。外国人選手は日本人選手と組むのを嫌うため、頻繁に仕掛けてくる。 そんなにタックルが好きなら、レスリングに転向しろ!と言いたい。 両足を取られれば誰だってコケるわけで、こんなものは柔道の技ではない。 また、先述の「不可解なジャッジ」についてだが、本来なら倒れて畳に背中をつけた時点で負け、日本柔道では「攻撃側の一本」である。 ところが、欧州勢は背中から落ちても組み手離さず、そのまま相手を道連れにして引き倒そうとする。それで先に攻撃を仕掛けた側が背中を畳につけた場合、「返し技(捨て身技)」として、日本柔道ならば敗者と判定される方に一本が入る。 要は、最後に背中がついた方が負けなのだ。 これが欧州スタイルのJUDOであり、今回の世界選手権で鈴木選手や泉選手が喰らった判定である。 このスタイルにまだ毒されていないブラジル観客席から、審判に対して激しいブーイングが浴びせられたのは言うまでもない。 どれほど伝統的なものだろうと、オリンピック種目になったり、競技人口が増えて国際連盟主催の選手権が頻繁に開催されるようになると、必ずルールやスタイルの変更を余儀なくされる。 だから、私は剣道がオリンピック種目になるのが嫌なのだ。(※) 国際的普及よりも、古式ゆかしき武道として後世に伝えていくことを重んじるべきではないか? JUDOに成り下がった柔道を見ていると、つくづくそう思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[興奮しすぎのスポーツネタ] カテゴリの最新記事
|
|