文袋屋
7月26日の鬼子母神手創り市は「文袋屋」の初めてのひとりだちだった。これまでは知り合いの「ねこもの屋」さんのお世話になっていたから売り場の設営に関わっていなかったのだがひとりだちとなればすべて自分でやることとなる。旅支度するとき次第に荷物が多くなっていくタイプの人間なので最初考えていたショッピングカートには入りきらなくなってしまいスーツケースで鬼子母神に向かったのだった。これがなんともでかいしろものなのだが転がしていけばなんとかなる、と思った。エスカレーターやエレベーターを使えばいい、と。ところが、甘かった。その乗り降りの際にはクイっと持ち上げなければならない。ごろごろ押すのはいいのだが,どういうわけがまっすぐ転がらない。それを軌道修正するのにえらく力がいる。そのうえ、駅では馴染みのない副都心線のエレベーターのありかがわからない。手伝いを申し出てくださったセンセイと鬼子母神駅で8時に待ち合わせていたためうろうろと探し回る時間はなかった。仕方がないのでそのスーツケースを抱えて階段を下りた。この大きさ重さを抱えるためにはかなりふんぞり返らないとバランスが取れない。腕もさることながら、腰とひざがミシッと鳴ったりした。そんなこんなで鬼子母神に着いたときにはもうもう疲労困憊していたのだった。(ああ、なんて長い前置きなんだろう・・・ すまんです)鬼子母神に着いたのは8時半にまだ間があった。が、エントリー料金3000円を払って境内を見回すとこの前「ねこもの屋」さんが陣取っていた樹の下のあたりはもう他の人の売り場で埋まっていた。なにしろブースというのか店の数がものすごく多い。みなさん出足が早い。いったい何時からきてるのだろう。仕方がないので境内の向かって右側、寄付金の名前が書き出してある板の前空いているスペースに入れてもらう。右側に和菓子やさん、左にTシャツやさんがいた。土の上に敷物を敷いて、でかいスーツケースを台代わりにしてそのうえに布を敷き、すだれなんぞを按配する。それにしてもわずかなスペースで文袋小文袋がいくらも置けない。たくさん置いてみても見苦しい。レイアウトはむずかしい。センセイのアドバイスもあってこんなふうになった。こんなとき自分はどうもあがってしまう。オチツケオチツケと唱えるものの、手順がもたつく。幸い連日の暑さよりはいくらかしのぎよい曇り空で境内を通り抜ける風に頭を冷やしてもらった。さてと、落ち着くと、そうそう、値段をつけていなかった。「周りを見て決めたら?」とセンセイが言うのでではっと、ねこもの屋さんにも顔を出して挨拶をしつつあちこち眺めた。眺めているうちに、目がちかちかしてきた。見えているのだけれど、なかなか気持ちが添っていかない。たくさんの情報量が自分の思いを削ぐ。こんなにたくさんのひとがそれぞれ一生懸命で、ものすごく気合いれてセンスよく売り場を按配して見てよ!見てよ!他のひととは違うのよ!さあ、買ってよ!とばかりのオーラを出していてめまいしそうになる。エッセイとか小説の教室で「文芸のカラオケ化」という言葉を聞いたがここは「手創りのカラオケ化」かなと思ったりした。誰もが自己表現をしたがる世界。自分もそのなかの砂粒。ため息とともに自分の陣地にたどり着くとなんだか神経がすごく疲れていた。お客さんが来始めて気がついたのだが文袋屋のあるエリアの横は坂になっていて入るためには段を上がらなければならないのだった。それだけでやってくるひとの数が減るみたいだ。なるほど立地条件は大事な要素なんだな。客足の流れを考えて場所を選択せねばいかんなと思う。しかしそうはいっても客は来る。そして文袋屋を素通りして隣の和菓子屋で足を止める。餅菓子やどら焼きが売れていく。そんな客を同じ並びのアクセサリー屋、Tシャツ屋、帽子屋、向こう方の洋服屋、洋菓子屋が見送る。「売れましたか?」と聞くと「ぜんぜん」とTシャツ屋の女性が答える。自分の描いた鳥のイラストをプリントしたTシャツを2000円で売っている。「ここは初めてなんです」と彼女がいう。横浜の鶴見から来たというのでこちらも長く横浜に居たというと、とたんに打ち解ける。その隣のアクセサリー屋と友人でふたりしていろんな「市」に出没しているらしい。葉山や府中へも行ったそうだ。「売れなくても楽しめればいいの」そんな合言葉でふたりは食べ物を買いにいっては、ほおばり「ああー。おなかがいっぱい」と満足げな声を出す。そのふたりの余裕でこちらもすこし落ち着いてくる。境内を回って取材をしたセンセイが言った。「みんな暑いからかがむのがいやなんだね。机のあるところに客が寄ってるよ」そういうことか、とひざを打ち、少しなりともと思いスーツケースのうえにかばんを置いて高くしてみる。ささやかな企業努力だ。と、とたんに声をかけてくるお客さんが現れた。「大きいほうの、もっとないんですか?」ありますとも、ありますとも、売るほどありますとも、なんて思いながら、さっきおいたかばんのなかから、いろいろ出してみせた。「外がおとなしめで、中が派手なのがいいんですが」めがねをかけた30代後半という感じの女性がいう。ううむ、そうねえ、といいながら出したなかで彼女が気に入ったのは↓の大きいほうだ。 「これは白大島の着物地で、裏も結構大柄です」なんて由来を語ったりした成果か。お買い上げいただいた。ありがたい。この暑さ、この客の流れからしてあまり期待ができそうもなくてひとつもうれなかったらどうしようと案じていたがひとつでも売れてよかった、と安堵する。その後、前を通るふたりづれの初老の婦人が足を止め文袋を見た。こちらはそのひとり、働き者のかあさんってかんじのひとが持っているパッチワークの手提げに目が留まり気がつくと「あら、素敵な色合いですねえ」と言っていた。「ああ、これ、このひとが作ってくれたのよ」と指したもうひとりのひとが童子の文袋を指して「これ、いいじゃない」と言った。「これは手ぬぐいなんです。うらも手ぬぐいです。童子の下の縞は縫い付けたものです。持ち手は帯です」こちらは待ってましたとばかりに語りだす。こいつは渾身の一作なのだ。値段は1500円だ。「この子がかわいいものねえ」「いいわよう」働き者のかあさんが持ち上げて眺めたり、腕に通してみたり、服に当ててみたりする。「1500円。明日の仕事、パート2時間分の稼ぎだわ」そんな言葉にうっとなる。一瞬自分の値段の付け方を問い直したくなる。しかし、こちらも相応の時間をかけて作ってはいるのだ。手が動いていないときでも頭はあれこれと動いている。「仕事場に持ってってみんなに見せるわ。洗濯もできるのよね?」「はい、大丈夫です」売れた文袋はそれぞれの持ち主のもとで役目を果たす。きっとこの童子の文袋は長くかわいがってもらえるにちがいない。ふたつ売れた。よかったよかった!の気分で暑さを避けて早めに切り上げた。帰りの電車の眠かったこと。帰り道の遠かったこと。そして翌日の筋肉痛。ああ、うらめしやスーツケース。それでもまたやるもんね、と思っていたりする。