帰り道
百万遍の寺を出てから西日の当たる町を少し歩いた。京大の石垣の前の電話ボックスなにやら気になる洋風建物もある。古そうだ。ちょっと路地に入ってみる。こちらはやはりここちよく和風。道路を渡って反対側の路地に入ってみる。こちらはちょっと雰囲気がちがう。こんなお地蔵さんがあったりする。きっと近所のおばあさんが今日一日の無事と家族の健康を祈って毎日おまいりするにちがいない。きっとそれこそがいいおまいりなのだなと思う。と、ここまできて姑が気になってくる。あわててバスに乗る。ひとつ手前で降りて花屋に寄りピンクのカーネーションを一本だけ買う。姑の記憶は徐々にその空洞を広げていて母の日のことも憶えているかどうかわからないのだが姑のための一本だ。帰り着いて、そういえば、とこちらも薄れ始めた記憶を手繰って何年か前に姑自身が陶芸教室で作ったという小さな花瓶を引っ張り出して一本のカーネーションの伸びた茎をバランスよく5本に切り分け、投げ入れた。それを、めがねやハサミやメモや雑多なものに侵略されたように陣地が狭くなっているテーブルの真ん中に置いた。それに気づいた姑は「きれいないろやなあ。かいらし花やなあ。この花、すきや」と言った。何度もくりかえし言った。