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カテゴリ:外国映画(その他)
パレスチナ人監督がイスラエル人プロデューサーと手を組むという、(政治的には)思いっきり異色(画期的)な取り合わせで作られた作品(ヨーロッパ各国との共同製作)。
2006年度ゴールデン・グローブ賞を受賞、2006年の第78回アカデミー賞外国語映画部門にもノミネート。ただ授賞式前にはノミネート中止の署名運動が起きている。アカデミー賞は、パレスチナは国家にあらずとの立場で(その点はやはりアメリカだ)、パレスチナ人監督エリア・スレイマンの『D.I.』を選考対象から外してきたが、この『パラダイス・ナウ』はヨーロッパ各国との合作なのでノミネートされた。まぁそれはそれでおかしな話だが。 話は、パレスチナの占領地区に暮らす幼馴染み二人の若者が、自爆攻撃に向かう48時間の心の葛藤と選択、友情を描いたもの。 鑑賞する前は、『ユナイテッド93』の犯行者側の姿に焦点を当てたような映画かと思っていたが、そうではなく、なぜ自爆攻撃を起こすのかという、いままで語られることのなかった自爆攻撃者の視点で物語っている点で、重要な作品だと思う。 東京都写真美術館ホールにて鑑賞。 『パラダイス・ナウ』 評価:☆☆☆☆ 【あらすじ】 イスラエルの占領下にあるヨルダン川西岸地区の町ナブルス。人々は貧困で苦しみ、ときおりロケット弾が飛んでくる、という地域だ。幼馴染みのサイードとハレードは、暇を持て余していた。自動車修理工場に勤めていたが、閉塞感と絶望と欲求不満を感じる毎日だった。 ある日工場に、車を修理に来た女性スーハが現れた。サイードは、幼い頃からヨーロッパで暮らしてきたという彼女に惹かれる。スーハもサイードに好意を持ちながら、ヨーロッパとパレスチナ社会との違いに戸惑っていた。その夕方、自爆攻撃の志願者をつのる組織のジャマルから、ハレードともにイスラエルの首都テルアビブで自爆攻撃を遂行するよう告げられた。仲間が殺された「暗殺作戦」への報復して行われるものだ。家族と最後の日を過ごす二人。 翌日、二人は殉教者が撮影するビデオの前で宣誓し、髭を剃り、髪を切られ、最期の“晩餐”を供された後、爆弾を付けたベルトを装着された。自ら外そうとすれば爆発する仕掛けになっている。ナブルスを囲むフェンスが切断され、二人は穴をくぐるが、たまたま車が通りかかったことから、彼らを運ぶ自動車が引き返してしまい、ハレードはフェンスの内側へ戻り、サイードはイスラエル側へと向かい、離ればなれになる。 アジトに帰ってきたハレードを待っていたのは、「サイードが裏切ったかもしれない」という指導者アブ・カレムの言葉だった。サイードを必死で探すハレード。その頃、サイードもパレスチナへ戻り、ハレードたちを探していた……。 撮影は実際のパレスチナ・ナブルスで行われ、映画の中で響いている銃声は、本当に起こっていたものだという。 私のパレスチナに関する知識は、故あって学生時代にパレスチナについてちょっと調べた(といっても書籍を数冊読んだ程度)時でほとんど止まっている。 パレスチナとイスラエルをめぐる問題については、公式サイトの「パレスチナ小史」に簡潔にまとめられている。ラビン首相が暗殺されずにオスロ合意がそのまま履行されていればと思うが、歴史にifはない、か。 映画を見る見ないは別にして、公式サイトは一見されてもよいのではないかと思う。 自爆攻撃自体の是非については各自さまざまな意見があると思うが、その行為の是非と、それを行わざるを得ない状況について、改めて様々に考えさせられる作品だ。 私自身は、自らを犠牲にすることそのものはさておいても、無関係な(数多くの)人間を巻き込むという点で基本的には容認はできないと思っていたし、この映画を見た後でもその意見は変わらない。 本作の中でも、自爆攻撃者となった一人が、子どもたちが乗り込んだバスで実行するのをためらい、結局戻ってしまうという場面が描かれていたのは、かなり意味深いと思う。 先日開催されたイスラエル映画祭2007で上映された『クロース・トゥ・ホーム』では、イスラエルの女性兵士が自爆攻撃に遭遇するシーンが出てきた(私の感想は→こちら)。 女性兵士といっても、イスラエルでは女性も18歳で徴兵されるために、我々が一般に「兵士」と聞いてイメージする職業軍人だけではなく、普通の女の子が“義務”のために勤めている人たちもかなり含まれているだろう。 そういう“下っ端”の兵士と一般人とは区別しがたいものだし、兵士といえども死に至らしめる行為は、やはり許せないものだと思う。 とはいえ、自分が映画の主人公たちの立場に置かれたら、どうだろうかと考えると恐ろしくなる。 暮らしている地域は、軍隊と検問所、そして囲いに取り囲まれ、日常的に銃声やロケット弾が飛び交い、そして自信の将来には何の希望も夢も見出せない、そういう立場に立たされたときに、果たして相手を思いやることができるのかと問われれば、正直自信はない。 自爆攻撃と言えば、日本では第二次世界大戦中の「神風特攻」という前例がある(そういえば、特攻隊を主題にした『俺は、君のためにこそ死ににいく』が近々公開される)。 ただ、神風特攻がほとんどが強制されて実行されていたのに対して、現在の中東地域で行われている自爆攻撃は、自分たちが生きる縁(よすが)はそれしかないというギリギリの状況下で行われるもので、(本作のラストを見る限り)そこに宗教的(イスラム教徒的)な“楽園の瞬間”が訪れるもののようだ(私にはよく分からない)。 話の展開としては、いくつか気になる点がないわけではない。 リーダーが用意周到に準備したと言いながら、二人が離ればなれになるシーンはどう見ても場当たり的だったり、サイードとハレードの立場というか考え方が始めと終わりでは入れ替わるようになるのだが、その過程の描写が今ひとつ分かりにくい。とくに、ハレードはスーハとの会話だけで“変節”したようにしか見えず、説得力に乏しい。 また、二人の考えに影響を及ぼす女性スーハの背景もよく分からない。祖父がたぶんかつての自爆攻撃の英雄なのはそれとして、どうして海外で生活していたのか、何しに戻ってきたのか。 だからといって、この作品の価値が減じるということはないけれども。 非常に重く、けっして取っ付きやすい映画ではないが、できるだけ多くの人に見て欲しい作品だと思う。 東京都写真美術館ホールでの上映は本日(2007/4/27)までだが、明日から東京・渋谷のPLINK X 、FACTORYにて再び上映が開始される。 なお製作者の意向に配慮して、このブログでは、日本のマスコミがよく使用する「自爆テロ」ではなく「自爆攻撃」と表記した。その真意については下記サイト参照。 (→ 公式サイト:『「自爆テロ」「自爆攻撃」 に関する表記について』) 『パラダイス・ナウ』 Paradise now 【製作年】2005年、パレスチナ=フランス=ドイツ=オランダ 【配給】アップリンク 【監督・脚本】ハニ・アブ・アサド Hany Abu-Assad 【脚本】ベロ・ベイアー Bero Beyer 【撮影】アントワーヌ・エベルレ Antoine Heberle 【音楽】Uve Haussig 【出演】カイス・ネシフ Kais Nashef(サイード)、アリ・スリマン Ali Suliman(ハーレド)、ルブナ・アザバル Lubna Azabal(スーハ)、アメル・レヘル Amer Hlehel(ジャマール)、ヒアム・アッバスHiam Abbass(サイードの母)、アシュラフ・バルフム Ashraf Barhoum(アブ・カレム) ほか 公式サイト http://www.uplink.co.jp/paradisenow/
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