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テーマ:最近観た映画。(40105)
カテゴリ:外国映画(その他)
ロストロポーヴィチという名前が(普通の)映画ファンの間でどのくらいの知名度を持つのか分からないが、クラシック音楽ファンにとっては、世界的なチェロ奏者であり、彼と並ぶのはパブロ・カザルスくらいであろう。指揮者としても活躍し、数々の名盤を残している。
今年(2007年)4月27日の逝去に際しては、マスコミで結構ニュースが流れたので、ご存知の方も多いかも知れない。 そのムスティスラフ・ロストロポーヴィチと、妻でソプラノ歌手のガリーナ・ヴィシネフスカヤの生涯を描き出すドキュメンタリー映画。 シアター・イメージ・フォーラムにて鑑賞。 『ロストロポーヴィチ 人生の祭典』 評価:☆☆(映画ファンとして)、☆☆☆☆(クラシック音楽ファンとして) ロストロポーヴィチ氏については、EMI CLASSICSのサイトが詳しいのでご参照のこと。 映画は第1部と第2部に分かれているが、さほど意味がある感じではない(たぶん)。 映画は華やかなパーティ会場──モスクワのメトロポール・ホテルで、2005年5月15日に開催された金婚式の模様から始まる。若かりし日のヴィシネフスカヤが熱唱するチャイコフスキー「聞かないで」のモノクロ映像を挟んで、数十年の後を経てかなり肥えた彼女が、乾杯の音頭をとり、ロストロポーヴィチに熱い口づけをする。 昔の写真と映像のコラージュ。1969年からは反政府作家ソルジェニーツィンを自分の別荘に匿い、1974年には亡命を余儀なくされる。 カメラはモスクワでの彼らの住まい──近代の音楽博物館開館のための準備がなされている──に移り、ソクーロフ監督自身によるロストロポーヴィチへのインタビューと、妻へのインタビュー(別々)へと続いていく。 ロストロポーヴィチは、「世界には二種類の個性がある。演奏者と作曲家です」として、ショスタコービッチとプロコフィエフ、この二人の偉大な作曲家との関わりや、その他のロシアの作曲家について様々に語っていく。ヴィシネフスカヤは、ロストロポーヴィチと再婚する前にいた息子の、幼い死について悲痛に話す。 そして、ロストロポーヴィチが、スペイン女王から贈られたという手回しオルガンを奏でて、第1部は終わる。 第2部は、再び金婚式のパーティ会場へ。老夫婦を囲む、欧州王室の豪華な顔ぶれ。ロストロポーヴィチが(どこかのコンサート会場で)スペイン女王を引っ張っていって席に座らせるシーンが映されるが、女王に対してこんな振る舞いが出来るのは彼だけだ。 夫婦の生い立ちの写真が、コラージュ風に紹介される。 子育てに無関心な両親に見捨てられて、祖母に育てられたヴィシネフスカヤは、専門的な音楽教育を受ける機会もなく海軍将校と結婚、終戦後に個人レッスンを受け、25歳でコンクールを勝ち抜いてボリショイ歌劇場の舞台にたつ。 一方のロストロポーヴィチは、チェロ奏者の父とピアニストの母の間に生まれ、4歳で難解な曲を聴きわけ、モスクワ音楽院に進学して13歳でオーケストラと共演、音楽院を飛び級し、ショスタコーヴィッチに注目され、卒業後にはプロコフィエフに出会う。 二人の生い立ちは非常に対照的だ。しかし、「音楽に奇跡はない。二人とも他人に抜きん出ねばならなかった」 作曲家のペンデレツキがロストロポーヴィチに献呈した曲の、初演前のウィーン国立歌劇場でのリハーサル風景。指揮者は彼の弟子であり親友である小澤征爾。カメラは、ロストロポーヴィチと小澤征爾、ウィーンフィル、そしてベンデレツキの姿を次々と撮らえていく。それと併行して、モスクワのオペラ学校でのヴィシネフスカヤの個人授業の様子が映し出される。この部分が第2部の白眉だ。 再度、ヴィシネフスカヤのインタビュー。最近の音楽界について、イタリア声楽との違いについて。 パーティ会場の隅でひっそりと座る夫婦の娘たちを捉え、ロストロポーヴィチの指揮者姿を映し、彼のショスタコーヴィッチとプロフィエフに恋していたという話で映画は終わる。 クラシック音楽の一ファンとしては、ロストロポーヴィチの語る貴重な音楽観や、彼の非常にお茶目かつ無邪気な姿に接することができるなど、ふだんCDを聞いているだけでは捉えようもない様々な事象に溢れたこの映画は、大変に魅力的なものだ。 とくに、マーラーを絶賛していたショスタコービッチと、マーラーを“マラリア”と呼んで嫌っていたプロコフィエフとを対照的に語る場面は大変に印象的だった。 また、世界初公開される曲の、しかもこの曲の演奏がロストロポーヴィチにとって最後になるという、その貴重なリハーサル風景を十分に堪能できたのも、この映画の大きな収穫(あ、でもつまらない人には全くつまらなかったかもしれない)。 また、老夫婦の生い立ちが対照的であったように、晩年の二人の醸し出す雰囲気もまた見事に対照的だ。たいへんに気さくで人のよさそうな夫と、たいへんに厳しい目をして人との馴れ合いを拒否するような妻と。その辺を捉えたカメラも秀逸だと思う。 そして、この映画で語られる音楽の普遍性と、政治に抑圧された芸術家の魂は、多くの人を魅了するものでもあろう。 しかし、1本の映画としてみると、映像が過去・現在あちこちに飛び、構成が非常にわかりにくい。これは、ロストロポーヴィチとヴィシネフスカヤに興味がない人には(そういう人が映画を見るかどうかは別にして)苦痛以外の何ものでもないのではなかろうか。 また、冒頭でナレーションが語る「夫婦は別姓を貫いている」理由が明かされることもなく、また豪華な王族たちとどうのような交遊があったのかや、ソ連当局とどのような“戦い”があったのかに触れられることもない。 まぁこれらは直接、音楽には関係しないのかも知れないが、タイトルが「ロストロポーヴィチとヴィシネフスカヤ、人生の哀歌(Elegy of Life)」という作品であるならば、多少は触れられるべきところだろうと思う。 (しかし邦題だが、長くなるので奥さんの名前を省くのは致し方ないとしても、「人生の祭典」というのは何だかなぁ) 欲を言えば、せっかく第2部のリハーサルシーンで小澤征爾が長々と映されるのだから、彼のインタビューなりコメントなりが一言くらいあっても良かったかなと思う(というのは、同じ日本人だからだろうか?)。 アレクサンドル・ソクーロフ監督は、全編ワンカットで撮った『エルミタージュ幻想』や、昭和天皇を主人公にした『太陽』など、非常にチャレンジングな作品を送り出し続ける人だが、作品の種類としては、ドキュメンタリーの方が圧倒的に多い。そのドキュメンタリー作品を、個人的には初めて見ることができたという意味でも良かったと思う。 ロストロポーヴィチの演奏については今さら私が述べるまでもなく、多くの好事家の方たちが語っているので、私の好きな演奏をいくつか末尾に挙げるだけにしておく。 最後に、偉大なるマエストロのご冥福を心よりお祈りする。 『ロストロポーヴィチ 人生の祭典』 Элегия Жизни. Ростропович. Вишневская. (ELEGY OF LIFE Rostropovich. Vishnevskaya.) 【製作年】2006年、ロシア 【提供・配給】デジタルサイト 【監督・脚本】アレクサンドル・ソクーロフ 【撮影】イゴール・ジェルジン、キリール・モショヴィチ、ミハイル・ゴルブコフ 【音響監督】ウラジミール・ペルソフ 公式サイト http://www.sokurov.jp/
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