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テーマ:昔の日本映画(74)
カテゴリ:日本映画(1941~50)
一昨年(2005年)の(いまは無き)三百人劇場での吉村公三郎特集、そして今年2007年2月の東京・池袋の新文芸坐での同監督特集によって、吉村監督の代表作はだいたい鑑賞したつもりであるが、せっかくなのでソフト化されている作品も見ておこうと、ビデオを借りて鑑賞。
『南の風 瑞枝の巻』 評価:☆☆☆ 獅子文六の原作を映画化した二部作の前編。 「瑞枝の巻」と付いているが、必ずしも話の中心は瑞枝ではない(中盤ではほとんど出てこないし)。また、後編には何も付いておらず、たぶん話からすれば「お玉の巻」とつける予定だったのだろう。(ちなみに瑞枝は高峰三枝子、お玉は水戸光子ということで、吉村監督の出世作『暖流』コンビ) 戦争で燃え尽きた華族の青年──生来ののんき者──を中心としたコメディ。 会社をクビになってぶらぶら暮らしている優柔不断な青年を、佐分利信が飄々と演じていて、これが実にはまり役。たぶん『暖流』などの颯爽たる青年よりも、こういった役柄の方がぴったりくる。 その佐分利が惚れ込む、おでん屋の娘が高峰三枝子。いや、彼女は本当に美しい。割烹着姿も似合っている。 私が高峰三枝子を高峰三枝子と初めて意識したのは、中学生の時に見た市川崑監督『犬神家の一族』だったりするので、長い間、“おばさん”(失礼)というイメージであったのだが、『暖流』を見て、若いときは絶世の美女だったことに気がつき、それ以来、機会があれば彼女の出演作はできるだけ見るようにしていたりする。 この映画も、前述のように、一つには吉村公三郎監督が目的だが、実は高峰三枝子目当てだったりもする。 役者的には、佐分利の友人を演じた笠智衆が、独特な味わいで好演。演技は上手いんだか下手なんだかよく分からない人だが、若いときからのこの存在感は、やはりただ者ではなかったと思う。 映画が作られた時代(1942年)というと、12月には太平洋戦争に突入するわけだが、そんな雰囲気を感じさせない、明るいさっぱりとした作品。テンポも悪くなく、後編にちょっとした期待がかかる佳作。 【あらすじ】 『南の風 瑞枝の巻』 宗像元男爵の息子・六郎太は、10日あまり前に会社をやめて家でブラブラしていた。以前から好いていた、近所のおでん屋の看板娘・瑞枝のところへ訪れて結婚を申し込むも、瑞枝は元華族との身分の違いを気にして取り合わない。 六郎太の母は、生来呑気者の彼に薩摩武士の精神を教え込もうと、出身地の鹿児島に連れて行き、しばらくの間、西郷隆盛の教えから「敬天堂」と名乗る伯父のところへ通わせる。ある日、六郎太は、宿で偶然、12年前に冒険に訪れたシンガポールで一緒だった重助に再会する。重助はフランス領インドネシアで、現地のシェン・チップと砂金を産出する川を見付けたが、直後に罹ったマラリアのために場所の記憶をなくしてしまい、シェンからは、西郷さんの遺児がいて、彼を教祖とする新興宗教・紅大教を日本で広めてくれるならば場所を教えると言われて、帰国したばかりだった。 重助の話にロマンを感じた六郎太は協力を約束し、二人で東京に戻ってくると、母に死んだ父親が自分に残してくれた遺産の株券を今すぐほしい、訳は聞かないでくれと母に頼みこむ。やる気を出した息子の姿に、母はだまって株券を差し出した。 宣伝が得意だというおでん屋の常連・眞杉に、教会の土地や建物の取得などの具体的な仕事・作業をまかせ、おうように構える六郎太に対して、重助は出資している金額が巨額なため心配するが、眞杉は悪人ではないし、なるようになるさと答えるのであった。 六郎太が新興宗教に入れ込んでいると聞いた瑞枝は、彼を公園に呼び出した。六郎太はプロポーズの返事かと喜んで出向いてきたが、瑞枝が重助は金目当てで近付いてきただくだと言われると、怒りをあらわにする。その六郎太の姿に、瑞枝は新たな魅力を感じるのだった。 『南の風 瑞枝の巻』 【製作年】1942年、日本 【製作】松竹 【配給】映画配給会社 【監督】吉村公三郎 【原作】獅子文六(朝日新聞連載「南の風」) 【脚本】池田忠雄、津路嘉郎 【撮影】生方敏夫 【音楽】早乙女光 【出演】佐分利信(宗像六郎太)、高峰三枝子(島瑞枝)、笠智衆(加世田重助)、水戸光子(お玉:シンガポール)、斎藤達雄(敬天堂:六郎太の伯父、シェン・チップ)、河村黎吉(瑞枝の父・半蔵)、葛城文子(六郎太の母・春乃)、文谷千代子(六郎太の妹・康子)、日守新一(眞杉)、飯田蝶子(鹿児島の屋敷の婦人・お鹿)、泉啓子(おでん屋水玉の少女)、山科公子(宗像家の女中) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.06.14 12:29:49
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