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カテゴリ:マラソン
LAマラソンに出られたランナー達に何だかの、共通点を感じえることができることと思います。
これがフルマラソンですよね? 当日は朝6時に友人たちとトーランスで待ち合わせてスタート地点のユニバーサルスタジオへ。 スタート前に、足の指を一本一本テーピング、今から水ぶくれができそうな箇所や靴づれする可能性のある部分にもテーピング。摩擦で皮膚が擦り切れないように両足の付け根や両脇にはVaselineを塗る。 前回は準備期間2週間というほとんどトレーニングもしない状態で悲惨な思いをしたが、今回は一年間コンスタントに練習を続けてきた。昨年10月にはロングビーチのハーフ・マラソン(13.1マイル)を経験し、「今回のフル・マラソンはなんとかなりそうだ」という感触を持っていた。 相変わらずの大群衆でスタート。一緒に来た友人たちとはお互いの健闘を祈って別れる。私がスタートラインを通過したのは8時半だった。 最初の3マイルくらいは周りの人にぶつからないように気をつけながら前に進む。 5マイルくらいになると自分のペースで走れるようになる。とは言っても、私は時速5.5マイルくらいの無理のないスピードでコンスタントに進んだ。 1マイルごとにある“water station”。ボランティアの人たちがコップに水やGatoradeを入れてランナーへ手渡ししてくれる。走りながら水を受け取り一口飲んで残りを顔にかける。流れてくる水は汗と混じって塩辛い。路面に散乱したコップの中を走りながら、「これがマラソンの光景だ!」と気が引き締まる。 昨年足がつった8マイル地点を無事に通過。そのままハーフの13.1マイルまで順調に来れた。時計は2時間15分ほどを指していた。 「コツコツと練習をしてきた甲斐があった。このまま頑張れば5時間を切れるかも知れない」と“甘い考え”が頭をよぎった。 ハーフを過ぎたころから“爆弾”の右ヒザが痛み出す。ペースを落として右ヒザをかばいながら走っていたが、16マイルあたりで負担の大きくなっていた左ヒザも痛み出す。“少し走っては歩き”、を繰り返してとにかく立ち止まることは避けた。17マイルを過ぎたところでヒザの痛みの我慢が頭痛を誘発。 イベント前日にLA Convention Centerへゼッケンを取りに来た際、“Mile 18”の横断幕が掲げてあるのが見えた。「この地点を明日通過するときには一体どんな状態なのだろうか?」と思っていた。いざ当日は、ヒザの痛みと頭痛で「こんなはずじゃなかった」と悔しい思いで“Mile 18”を歩いて通過した。 ヒザの痛みよりも、頭がズキズキ痛んでいたことが精神的に大きな負担となった。「まだ8マイルも残っているのにどうしよう、ちょっと無理かも知れない・・・」と弱気になった。 22マイルを過ぎたところで鎮痛剤Advilを飲む。頭痛とヒザの痛みがやわらいできた。23マイルからまた歩きと走りを繰り返し始める。 周囲の人たちも皆苦しそうに歩いたり走ったりを繰り返している。 25マイル地点で和太鼓の音に大きな勇気をもらい、「ここからゴールまでは絶対に走りきる!」と自分に誓って走り出す。 JBAの方が“頑張って!”と日本語で応援してアンパンを渡してくれたが、この最後の1.2マイルでアンパンを食べる精神的ゆとりがなく一口だけ口をつけて捨ててしまった(ゴメンナサイ!)。ゴールにたどり着く自信を失いかけていたのに、ついに“Mile 26”の横断幕が目に入りそこへ向かって走っている自分が信じられなかった。 この最後の1マイルは自分でも驚くほどしっかりと走れた。肉体や精神を超えた力で足が動いているように感じた。 ゴールインしたときの時計は5時間半くらいを示していた。 「何でしなくてもいい辛い経験を自分から進んでするのですか?」 私がLAマラソンに出ると知った友人から聞かれた言葉を思い出した。 ゴールまでたどり着く自信を失いかけながら足を引きずって歩いている時、「何でこんなことをしているんだろう・・・」と自問した。 周囲を見回して見る。自分の娘と変わらない中学生くらいの女の子が黙々と走っている。老夫婦がロープでお互いの手をつないで歩いている。母親が障害者の息子の手をとって一緒に前進してゆく。どう見ても70歳を超えているであろうおじいさんが、疲れて歩いている若者の肩を叩いて「don’t give up!」と励ましながら走って行く。 どんなに訓練をしてもフル・マラソンを最初から最後まで楽に走りきる人はいないのであろう。「何でこの人たちはLAマラソンに参加しているのか?」と考えた。 沿道からも大勢の人たちが声援を送ってくれている。惨めな姿で歩いている私を見て、ゼッケンに書いてある私の名前を呼んで何度も励ましてくれた。 「自分ひとりだったらここで辞めていただろう」 どんなに頑張っても自分ひとりできることはたかが知れている。物事が少しうまくいったからと言って「自分はすごい」なんて思うのはとんでもない。 このLAマラソンだって、周囲で走っている人たちに勇気付けられた。沿道の人たちからの声援に助けられた。自分で完走したなんて到底思えない。 レース後、妻が車で迎えに来てくれた。 内心は「物好きな亭主」とでも思っているのだろうが、彼女の顔がいつもより優しく見えた。(気のせい?) 「来年もまた出ますか?」と友人に聞かれたとき「Yes」と即答できなかったけど、また苦しさ承知で出るんだろうなぁと思った。 「何でしなくてもいい辛い経験を自分から進んでするのですか?」 表現力に乏しい私にはこの問いに言葉で答えることはできない。 「本当に知りたいのなら参加してみてください」としか言えない。 皆ひとりひとりに26.2マイルのストーリーがある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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