お通夜の席で微笑みあった子供達
御近所に、上の子も下の子も同性で同じ年齢のお宅があります。兄同士、弟同士も仲良しで、親も同世代です。次男同士が同じクラスで、今回お母さんを亡くしたTちゃんと同じクラスで仲良くしていた事も有り、連れ立ってお通夜に行きました。長男はそちらのお宅に預け、車の運転の出来ない奥さんとそちらの次男を同乗させて、あたしの運転で出掛けました。持ちつ持たれつです。母親同士で相談し、Tちゃん宛のお手紙を子供達には書かせました。子供達はお悔やみを言うでもありません。それにTちゃんだってそれを望んでいないことは明らかです。Tちゃんとお姉ちゃんは、お母さんの亡くなった当日、登校して来て担任の先生に、お母さんが夜中に亡くなった報告をしたそうです。彼らのお父さんには既に御両親もなく、この度奥様を亡くし、悲しみに暮れる間もなく喪主としての大役を果たさねばならぬとあって、子供達に構ってやれずに取りあえず登校させたようでした。少なくとも学校は、気忙しくお葬式の準備をして子供に目の届かない自宅よりは「安全」ですものね。そんな経緯も知っていましたので、忙しい大人たちの中で自分の存在を出せずにいるであろう子供達に、「お手紙」を。いつでもいいから、寂しいときに読んで貰えれば。学校系列の母親達は参列者の席が足りないので、会場の外側で御焼香の順を待たされていました。一緒に行った奥さんは我が子に「ニヤニヤしちゃダメよ!」って、何度も言い聞かせていました。あたしは何も言わなかった。Tちゃんは、お友達に求めているままの表情をするだろうし、子供達はTちゃんに求められているままの表情をするだろうと、そう思いました。悲しい思いでいっぱいならばそんな顔をするだろうし、この子達もまさかそんな表情のTちゃんを見て笑ったりなんかしないでしょう。Tちゃんは、クラスの中でもグンと幼い方でした。去年も今年も、いわゆる「座って居られない子」なのです。それを嫌がる子もいれば、受け入れている子もいる。大人の世界と一緒です。おそらく昨年からママが病気になったせいで、気持ちは以前よりずっと落ち着かない状態が続いていた事でしょう。ママもそれを心配していました。御焼香に子供を伴って並びました。Tちゃんとお姉ちゃんの姿が見えました。ヨレヨレの普段着です。Tちゃんはそのまんま泥遊びでもするような、黒で遠目にも毛玉だらけのパーカーを着ていました。参列する子供達は白のワイシャツに紺や黒のベストやカーディガン。母親が亡くなるとはこんな事なのだと思いました。いつも社会に出て一生懸命働いているお父さんは、おそらく参列にふさわしい子供服が、どこにあるのかを知らないのです。たとえ知って居たとしても、アイロン掛けなどしてやる暇はありません。愛情が無いわけでは無いけれど、母親と父親の役目は別々なのです。我が家の状態をもって、偉そうな事は言えないけれど。Tちゃんが子供達に気付き、満面の笑顔で自分の席から伸びをしました。子供達もニッコリと笑い、小さく手を振りました。ちょっと幼いTちゃんは、おかあさんの亡くなった事も今一つピンと来ていないかもしれません。ずっとずっと、大人たちの悲しみに包まれて寂しかったに違い有りません。あたしは感傷のような感動のような妙な気持ちでいっぱいになり「行っといで! お手紙、渡しておいで!」と言って、次男の背中をそっと押しました。自分たちの御焼香の直前でした。次男をそっと手で押し出して、自分は御焼香を。いいんだこれで。次男の役目は御焼香じゃない。故人もきっと、御焼香なんかより、それを喜んでくれるはずだ。あたしには解る。だって同じ母親同士だもの。御焼香を終えて出口に辿り着くと、緊張した顔の次男が待っていました。「ぼく、ドキドキしちゃった」って。「そっか。 あれでいいんだよ。 笑ってくれて良かったね」と言って次男の頭を撫で、緊張を和らげるために肩をグッと抱き寄せました。我が家の次男に続いて、一緒に来た子も手紙を渡せた様子でした。問題は今後です。遺されたTちゃんとお姉ちゃんを、みんなでずっと見守って行きたい。子供達にもちゃんと、教え続けて行こう。これは一つの決意です。